わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ジーンズのまま眠った日々

 三時頃に目が覚めてしまった。昨夜の地震警報のあのけたたましい音が、九年前の熟睡できない日々を思い出させたか。いつでも避難できるように、と妻もぼくもパジャマではなく、ジーンズにセーターで寝ていた。深夜に二度、三度と起き、その都度状況を、確認などしようもないというのに、半ば自分を強引に納得させるためだけに、いい加減に、形式的に、確認し、まあ、大丈夫だろう、という魔法のフレーズを独りごちてから、ジーンズのまま二度寝、三度寝、と繰り返していた。

 五時四十分起床。葵にちょっかいを出しながら身支度。やや曇天。早朝に新聞を取りにマンションのエントランスまで出て道路を眺めてみるが、散歩の人も通勤らしき人も、まったくいない。

 仕事。

 インスタントの袋ラーメンとチルドの肉まんで昼食。インスタント麺を食べる機会はコロナ前より増えた気がする。もうこの一カ月間で三度は食べたことになる。以前は半年に一度食べるか食べないか、という程度だった。

 夕方、強い雨が降り出した。夜はランニングするつもりだったが中止し、エアロバイクに切り替えた。ひとまず汗はかける。

 

 読書は、昨日とおなじ工藤庸子「大江健三郎と「晩年の仕事」」(「群像」2020年5月号掲載)のつづき。この評論、パロディ文学論的な側面もある。大江さんの仕事、たしかに「高尚なパロディ」「技巧的なパロディ」と言えそうだ。真似をすることで風刺や滑稽といった笑いの要素を生み出すのではない。ま、「自虐」というのはあるのだけれど。構造やエッセンスを拝借する姿勢はとても真剣で、和歌の本歌取りに少し近いのかもしれない。まあ、大江文学の場合は本歌より複雑化していたり、まるで違うテーマにしていたり、ということのほうが多そうで、その点は本歌取りとはちょっと違いそうだけれど。

 それにしても…『ドン・キホーテ』、自分は未読なんだよねえ。児童文学としてアレンジされたものや短縮されたものではなく、セルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』をきちんと読了した人って、どれくらいいるんだろう…。

 

 

→大江健三郎の作品はこちら。晩年の作品群を読み返したくなっているのだが、さて、時間がねえ。

→「ドン・キホーテ」シリーズはこちら。実はものすごく長い作品。岩波版で、全部で5〜6巻ありそう。