五時四十分起床。今朝は日差しが弱く雲は厚く、秋の虫の音もいつもより遠く、そしていつの間にか蝉の声は途絶えていて、季節が袋小路に迷いこんだか、などとつい擬人化して考えてしまう。身支度をするにつれ家のなかは微かに気温が上がり、湿度も上がり、夏のヤツめ、まだしぶとく居座ろうとしているか、とまた擬人化してしまう。こんな時、迷うヤツの顔は情けなく眉尻が垂れ下がり、居座るヤツの顔は、当然ながらふてぶてしい。
仕事。予定していた案件にはまったく手をつけられず、突然動き出した別の案件の対応に終始追われた。まあ、こんなことはよくある。
夜、右足の人差し指(は正しい呼称ではないだろうが)に黒い埃のようなものが付いていたので指でつまんで捨てようとしたら、ササクレだった。ちぎれた場所から血が噴き出た。黒かったのは、どうやら気づかぬうちにどこかに足指をぶつけていたらしく、アザというか血豆というか、指先が黒々と変色していたからだ。二重三重におかしな感じだ。
読書は瀬戸内寂聴「その日まで」(「群像」2020年10月号掲載)だけ。九十九歳を迎えた寂聴とコロナ禍、遺言、そして太平洋戦争中の空襲で亡くなった母の記憶。生きることの苦しさが淡々と描かれているのだが、時折その苦しさの中でベローンと舌を出している寂聴の顔が、一瞬だけ浮かび上がっているように思える。「もう死ぬのだから」「無駄に生きているのだから」といった、延々と年を重ねていることに対する激しい自虐がそう思わせているのだろうけれど、うーん、不思議なエッセイだ。