五時四十分起床。晴れているが、午後は大気が不安定になり、またまたゴロピカと来るという。五月の連休とはこんなに悩ましい天気だったか、と記憶を辿るが、わからない。ただ、意外に風が強いという認識はある。風の強さと空の荒れっぷり、どこかでつながっているのかもしれぬが、気象学の心得がないからさっぱりわからない。
憲法記念日でオフにしようと思ったが、午後に雨が降るなら出かけられないということ、ならば仕事をしておいたほうがいいか、緊急事態宣言で出かけにくい状況であることには変わりないが、と考え、早朝から仕事。某取材系案件を進めたら、どういうわけかはかどって、予定していたところまで終わってしまい、午後はまるっと空いてしまった。仕方ないので読書。三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』を読み進めた。「第七章 人は奴隷から生まれる」。ショッキングなタイトルだが、人種差別的な意味合いはまったくない。原生生物が視覚を持つことで世界をより明確に認識できるようになって意識が生まれ、生物が急速に多様化し、そして原始人類は視覚によって発話能力、言語能力を高めていった、というのがこの本の超おおざっぱな主旨なのだが、人が言語を得た時に、自分への語りかけを通じて自分を客体化する能力を把握し、これが自分を外から眺めるという仮想的な視点の獲得につながり、それによって、自分の意識が自分自身(の肉体、なんだろうね)を支配していくという自己コントロールが生まれ、これがそもそもの奴隷という制度あるいは慣習のはじまりだった、という考え方が展開されている。奴隷とは、自分を支配下におくか他者を支配下におくかの違いだけだ。そもそも家畜を飼うという行為もまた奴隷制度につながる。奴隷制度や戦争といった人間の暗い部分が人間社会や科学技術の発展になんらかのカタチで寄与している、いやその発展の原点や原動力と言えてしまうということは、もっとしっかり考える必要があると著者は言っている。その通りだな…。現代ではSDGsなんてことが言われているが、裏返すと実は企業同士、国同士の経済競争が普及・促進の原動力になっていたりする面は否定しきれない。