五時三十分起床。夏至が近いからだろうか、すでに窓の外は明るい。葵が窓辺でひなたぼっこをはじめていた。
仕事。某医療系企業の案件。
午後、外出。夏のような暑さ。日差しは強く、つい日陰を選んで歩きたくなる。
後楽園へ。某案件の打ち合わせを一時間ほど。
帰りの中央線。ぼくが立っていた場所の左前のシートに、年齢はぼくとおなじくらいだろうか、ルイヴィトンのスマホケースを使っている、マダム風の女性が座っていた。荻窪駅が近づいてくると、この女性は急にそれまで付けていた不織布のマスクを外してしまった。ん? なんのつもりだろう、と横目で見ていたら、布製の、ピンクのスタイリッシュなマスクに付け替えていた。車内が混雑した時のためにウイルスを防ぐ能力がより高いと言われる不織布をしていたが、電車を降りたら必要ないしもっとカワイイのを付けたいからピンクのものにした、ということなのだとう思うが、電車の中でマスクを付け替えるという行為は初めて見た。車内でお化粧するのと近い感覚、と思ってしまった。だが、ぼくの認識は異常なのかもしれない。
昨日から、リービ英雄「A child is born」(「群像」2021年7月号掲載)を読みはじめている。日本に住む西洋人であり日本人の名前を持つ主人公の男は、漢民族の友人とブルーバードでノーマッドたちが暮らす土地を抜けて寺院をめざす。その様子と、幼い頃の台湾やアメリカでの暮らしの記憶が対比的に描かれる私小説作品なのだが、いきなり時間を跳躍する感覚、複数の言語を自在に往来する(といっても小説は日本語で書かれ、ほとんどほかの言語は出てこないのだが)自由さ、そして不思議な境遇で育っているがゆえに感じている(ように思える)主人公の生き様の不自由さ、が不思議なバランスでミックスされ、作品に大きなうねりを与えている。おもしろい。