わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

冷たい雨に毛が生えたような

 五時四十分起床。朝から雪との予報だが、未明には降りはじめていたようだ。ただ、積もるような雪ではなく、雨混じりで重く、すぐ溶ける。大雪で身動きが取れなくなる、と天気予報やニュースが繰り返し報じていたが、交通マヒの状態を引き起こすまえに十分な注意喚起をしておこうという意図から、お笑いの世界でいう「盛った」表現をあえて使っているのだろう。確かにそこ効果はあるようで、ここ数年、気象は激甚化していると言われるものの、目立った混乱はないように思える。コロナで人がそれほど動かないという別の理由もあるのかもしれないが、大まかにではあるものの、大衆心理、共同幻想のようなものが変わり、それによって行動も、そして常識も、変わりつつある。温暖化やSDGsも似たような理屈で動いている。危機的な未来を想像させることで、行動変容を促している。

 灰色の空から降る重たいみぞれにはそれほど風情が感じられない。心も躍らず、積もったらどうするという不安や危機感も希薄になる。冷たい雨に毛が生えたようなものだ。それでも、もし積もったらという心配は感じるので、仕事をしながら、チョイチョイと外を見ることになる。気分転換、思考で濁った頭のリフレッシュにはちょうどいいようで、1時間に一度くらいのペースではあるが、執拗に窓外を覗き込んでしまった。

 夕方過ぎから積もりそうな気配が強まってきた。寒いので、夕食は鍋にした。

 

 川上弘美「すでに破いて中身が空になっている部分」(「群像」2022年3月号掲載)。一連の私小説風連作。日常の中の、あるいは記憶の中の、おかしな亀裂にそっと身を潜めたり、そこで遊んだり、軽い心配をしたりしている。そんな感覚の連作作品。