わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

おばちゃん三人が

 五時四十分起床。真冬の冷えは感じないが、つい惰性で暖房を付けてしまう。一時間も経たぬうちにきってしまうのだから無駄な気がするが、どうなのだろう。

 今日は休日に。花粉症がぼくよりもひどい妻は外出せず引き籠もると宣言している。ぼくは午後からランニングへ。花粉のせいかPM2.5のせいか、マブタがひりひりする。鼻水やのどはマスク(というよりフェイスゲイター)を付けているからほとんど問題ない。いつもなら人がいない場所では外して走るのだが、今日はつけっぱなしにした。オナガガモカルガモヒヨドリムクドリコゲラ、スズメ。おばちゃん三人がカワセミがいたと大騒ぎしていたが、ぼくは視認できず。残念。

 

 
 
 
 
 
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A post shared by 五十畑裕詞 (@catkicker001)

 

 鷲田清一「所有について(12) 演戯と所有」(「群像」2022年4月号掲載)。〈わたし〉の身体が自分自身であると同時に自分の所有物であり、かつ自分以外のものの所有物であるという妙な状況が普通一般に受け入れられているという問題に「自己の身体に(別の)人格を宿らせる」という視点から、つまり演戯という視点からアプローチしている点がとてもおもしろい。