わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

読めないな、と独り言をいいながら

 五時四十分起床。身支度をはじめると、雨が降っていることに気付いた。予報では、どうだったっけ、晴れだったような、と記憶を辿りながらベランダ越しに外を見る。篠突く雨、という表現がしっくりするほどの強さだったが、三十分もせぬうちに弱まり、雲は明るくちぎれ気味になり、そして自然に手すりが乾いた。通り雨、にわか雨の類か。読めないな、と独り言をいいながら、イヤホンでラジオ英会話を聞きつつ、片付けやら動物たちの世話やらをつづけた。

 仕事。昨日の慌ただしさが嘘のように今日は静か。腰を据えてじっくり作業を進めた。某IT系工事会社のWebサイトの構成とコピー。

 夕方、整骨院へ。アキレス腱炎、だいぶよくなってはいるが、まだまだしぶとく痛みが残る。特に左足は、先生が目視で腫れを確認できると言っているから、それなりによくな状態なのだろう。走りたいが、今は辛抱。仮に治ったとしても、今週は金曜日に抜歯をするから週末は走れないわけだが。

 夕食は妻が牛肉と茸のカレーをつくってくれた。好物のひとつだ。

 

 高山羽根子「パレードのシステム」(「群像」2022年9月号掲載)。読了。祖父、親友、台湾人の友人の父。まったく関係性の異なる人たちの死とかかわることで、若き現代美術の作家である主人公は、自分の生が、人生が、爆発しそうなくらいにヒリつく感覚を味わう。人は、自分以外の存在の死、時に社会的な理由から覆い隠され物理的には消されてしまうことが常識化している死に真正面から向き合うことで、逆に自分の生の原動力になる何かを、獲得することができるのかもしれない。現代を生きるぼくたちには、正視するという姿勢が明らかに欠けている。それは自己防衛の仕組みであり、社会維持の仕組みでもある。

 高山羽根子はとても好きな作家だが、それを抜きにしても、久々にいい作品に出会えた! 今のところ、今年No.1かな。

 この作品、「戦争特集」として掲載されないほうが、より自由に味わえたのかもしれないなあ。