五時四十分起床。平穏な大晦日を迎えている。どうなるか、どうなるか、と焦燥感に駆られ続ける十二月、どうにかなる、と言い聞かせながら仕事をつづけ、まあ、だいだいは無事平穏に最後の営業日を迎え、そのまま大掃除に突入する。決まりきったルーティーンというわけで、ここから外れてしまうことは滅多にないこともわかっているのに、焦りの感情から毎年抜け出せなくなる。もっとも、この焦りが年末の仕事に弾みをつけているという面はあるのだろう。それなりの充実感もある。
大掃除は昨日で終わらせているので、今日はのんびり、休日らしい休日。午前中は少し本を読み、午後は走り納めで和田堀公園方面へ。妻が自転車で着いてきた。11.8kmを1時間ちょい。冬枯れの木々の中を5分30秒/kmくらいのペースで走り抜けていく。ランナーは比較的多いが、それ以上に家族連れが多かった。年末のあれこれを終わらせ、2022年の余った時間は、外で思い切り遊ぶことにしたのだろう。子どものキャーキャーいう声が、ヒヨドリたちのけたたましい鳴き声といい勝負を繰り広げている。
戻ってからホットケーキで休憩。その後は年末のお笑い特番などを観てゆっくり過ごした。
稲垣諭「「くぐり抜け」の哲学(4)」(「群像」2023年1月号掲載)。「くらげ」という単語に含まれる語源から、文学作品などを通じてくらげの「他者性」に接近している。今回は川端の「燕の童女」という作品(ぼくは未読)から、「くらげ」という比喩に込められた意味を経由してジェンダーの問題にまで踏み込んでいる。