五時四十分起床。今朝もすでに暑い。じっとりと寝汗をかいた感覚だけが残っているが、体はぐっしょりと湿っているわけではない。去年、一昨年あたりの猛暑では早朝からシャワーを浴びる必要があるほどの汗だった記憶がある。まだ梅雨の最中、朝の気温は真夏ほど過酷ではないということか。
仕事が比較的落ち着いているので、今週末はフルで休み。久々だ。午前中はせっせと掃除、そして洗濯。昨日のウォーキング中に自宅近所の住宅街にあるご自宅ベーカリーで買ったパンで昼食をとり、午後は雷雨となったので外出はせず、Amazonで映画など見てのんびりと。
十九時、雨が止んだのでウォーキングへ。わずか3kmで汗びっしょり。夜に走ろうかと思っていたが、また降るという予報もあるのでやめることに。日曜の早朝に走る。
大澤真幸「〈世界史〉の哲学 現代篇(32) 「道徳的選択」が不可能になるとき」(「群像」2024年7月号掲載)。20世紀のアメリカの資本主義において、特に成功者層において虚無と喪失の感覚が蔓延した理由を、ロスト・ジェネレーション世代から半世紀ほど過去の作家で、19世紀後半から第一次世界大戦終戦後あたりまでを生きたヘンリー・ジェイムズの作品を鍵に考察している。動詞や形容詞を名詞化する独特の文体を大澤さんは「資本主義的文体」と呼び、物神化の現れと考える。そして後期代表作の基本的構造の類似性などから、「虚無と喪失」のヒントを得ようとしている。『ある婦人の肖像』という作品はラストが衝撃的で、読んでみたくなった。