五時四十分起床。いよいよ本格的な春、とテレビでは何度も報じているようだが朝のうち、そして日が暮れてからはそれなりにまだ寒く、今がまだ季節の端境、変わり目なのだと痛感する。日中は書斎に引き籠もって作業をするわけだが、どういうわけなのか、真冬の時期よりも寒い。床から冷気が伝わる感覚があり、そのせいなのか、他の要因なのか、部屋の空気が一向に暖まらない。マンション暮らしは人の季節への感覚を狂わせる、などとよく言われるが、そもそもマンションという空間が、いや広げて言えば鉄筋コンクリートづくりの建物全般そのものが、内部の環境を季節に合わせるということを拒むような、そんな本質があるのかもしれない。
仕事。なんか寒いな、とぼやきつつ、某住宅メーカー、某家具メーカー、某美容メーカーの案件を黙々と、取っ替え引っ替えに進める。資料を読んでいて、よくわからんな、と思ったら、鉛筆やボールペンを手に取る。コピー用紙の裏紙などに、要点を書き殴っていく。書きながら情報そのものを整理し、見直してアタマのなかを整理する。我ながら古臭いやり方だと思うが、自分としてはこの方法が確実だ。Webサイトの制作だのデジタルデータでの印刷入稿だの、何かとデジタルづいた生活をしているが、根っこは案外アナログで、いまだに筆記具とノートが手放せずにいる。デジタルは便利だ、今や普通だ、常識だ、と思いながらも、心のどこかで、デジタルに対する不信があるのかもしれない。System 6 や漢字トーク7といった、Macの初期、フリーズやコンフリクトが頻発する、90年代の不安定極まりない環境の中でデジタルを使いはじめたからかもしれない。作成中のドキュメントがシステムエラーでパーになる、なんてことは日常茶飯事だった。ま、それでも(アナログ好きな一方で)Macは好きだし、68K時代やPowerPC時代のMacにはノスタルジックな感情を抱いたりもするのだが。使わないよな、と思いつつも、SE/30は手元に置いておきたいな、なんて思うことは、たびたびある。
▼最近はFがお気に入り。三菱ユニよりもトンボが好き(絵描きの人はユニ派がほとんどみたいだが)。だが、最上級モデルのMONO 100と、その次のモデルのMONOとの書き味の違いがまったくわからない。
夕食はチキンカツを食べた。
長野まゆみ「C&L」(「群像」2025年4月号)。最近は長野さんの作品は「群像」でしか読まないが(ぼくはそもそも「群像」を軸に読書してるからなあ)、読んだものの大半は、たくさんの登場人物が登場し、それがみーんな家族同士や知り合い同士、という感じ。賑やかだ。しかし、作品には必ず、ほんの少しの、だがかなり濃いめの孤独がつきまとう。賑やかな人間関係の中に、異分子のように、孤独が紛れ込んでいる。そこを遠回しに描くことで、物語が進んでいる。





