わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

若い木の方が花びらに

 五時四十分起床。久々の完全オフ。気温はここ数日の間で気まぐれにぶり返してきた冬の寒さを微かに引きずっているようだが、幸い晴れている。観葉植物をベランダに出して陽に当ててやった。水もたっぷりと。

 午前中はせっせと掃除。

 午後は花見を兼ねてランニングへ。妻が自転車で伴走してくれた。桃井の原っぱ広場の周囲をぐるりと。ここ十年くらいだろうか、植樹してさほど年数の経っていない若い桜があちこちでしっかり咲いている。若い木の方が花びらに透明感があるように見えるが、気のせいだろうか。

 つづいて善福寺川沿いを西に向かい、善福寺池へ。あまり桜があるイメージはなかったのだが、花の季節になると実はあちこちにあることに気付く。レジャーシートを敷いて酒と弁当を楽しむ人があちこちに。自宅近辺まで戻り、コープへ買い物に行くという妻といったん別れ、ぼくは和田堀方面へ。こちらも人がすさまじい。公園内は歩くのも難儀する状況なので、公園の外側を走った。18km。

 

 安藤礼二大江健三郎論(2)」(「群像」2025年4月号)。実際に起きた一揆の記録に虚構を加えたり、入れ替えたりすることで、作品世界のトリガーにしていくという手法は面白いと思う。大江さんの『万延元年』の場合、100年前の一揆と現代の革命(への憧憬のようなもの)がおかしな感じに重なり合ったり呼応したり反発したりすることで物語が進んでいくのだが、作品世界を覆う奇妙な熱のようなものは、おそらく史実として存在し、実際に百姓たちが熱くなった一揆が重要な要素になっているからなのかもしれない。