わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

何を書いてもいいよ

 五時四十分起床。みどりの日。晴れ渡る空と新緑、そして(こどもの日は明日だが)鯉のぼりをしっかりたなびかせる強めの風を想像していたが、朝のうちは曇天、日の光で木々の緑がきらきらと輝くような空ではなさそうだ。

 今日もオフ。とはいえ、朝のうちはすこしだけ事務処理をした。その後は掃除、母の日のプレゼントの梱包など。

 午後、ランニングへ。妻が自転車で伴走してくれた。善福寺川沿いを少しだけ外れたルート。妻は7kmくらい走ったところで離脱。ぼくはそのまま善福寺川緑地公園のほうへ向かい、すぐ戻るつもりだったのだが、住宅街を適当に曲がっていたらどこを走っているのかわからなくなり、しばらくクネクネと彷徨った。気付いたら近衛文麿邸にいた。

 夕方はのんびり過ごした。

 

 

 奈倉有里「文化の脱走兵(30)」(「群像」2025年5月号)。奈倉さんが幼児の頃に経験したという、巨大で真っ白な紙に、「何を書いてもいいよ」と言われた時のワクワク感、興奮。確かにそんな感覚は大人になるにつれて失われる。だが今は、むしろあれこれややこしい制約がある中でコンセプトをひねりだしたりコピーを書いたりビジュアルをつくったり、ということのほうに、ワクワクしてしまう。そう、ぼくの仕事は大喜利のようなものなのだ。お題を出されて、それに応える。相手の期待は超えなければならない。それが難しいわけだが、同時に楽しい。ゆえに、と続けていいのかどうかよくわからぬが、長年この業界にいると、「自由」と言われると逆に戸惑ってしまうところがなきにしもあらずだ。