わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

大量の猫を救う、最後に犬も

 便器の中にシャム猫がいた。ウチの葵と同じ、ショータイプの細々体型だ。一匹ではない。親子で七、八匹いる。うわ、大変だ。排水管から上がってきたんだ。助けなきゃ、と大慌てで全員すくい上げた。排水管から来たのならこんなにキレイなはずはないのに、そこにはまったく気付いていない。シャム猫は出しても出しても出てくる。そのうち、ほかの猫種も出てきた。花子と同じソマリも、三毛の日本猫もいる。最後にはゴールデンレトリーバーの家族まで出てきた、というところで目が覚めた。久々におかしな夢を見た。

 仕事。午後、ちょっと不思議で面白そうな新規のご依頼をいただいた。

 

 三木那由他「可愛い哲学(6)思い出を語る、哲学をする」(「群像」2025年10月号)。トランス哲学というジャンルが紹介されていた。文字通り、トランスジェンダーの哲学。ジェンダーアイデンティティの考察などがテーマになるみたい。ここでご自身もトランスジェンダーである三木さん、このジャンルに限っては、三木さんも含めて、哲学としては珍しく、過去におけるトランスジェンダー当事者である哲学者自身の「思い出」が重要になると語っている。なるほど、一般的な経験や認識からの抽象化・定義化がフツーの哲学だとしたら、トランス哲学はよりパーソナルな経験を考察の出発点にして抽象化・定義化していくことが多いのだろうな、と思った。