わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

出かける予定もないので

 五時四十分起床。昨日のランニングで感じた足の張りと軽い痛み、まだつづいている。張りが落ち着いたが、部分的に痛むところがある。歩けないほどではないが。ヒラメ筋だな。患部を圧迫で保護しつつ、周囲をマッサージ。

 雨。出かける予定もないので、終日読書して過ごした。義母が大量の柿を持ってきてくれた。

 

 平山周吉「「雑」の風景(3)」(「群像」2025年12月号)。福田和也との思い出と、彼が編集していた雑誌「en-taxi」について。福田和也、大昔に1冊だけ読んだな…。僕の中では反骨的な保守、という印象。

 乗代雄介「絵画という地図を手にして(4)」(同誌)。今回取り上げるのは、高島野十郎「夕月」。晩年は闇と光の絵という印象の画家。乗代さんが通っていた高校の近くにアトリエがあったのだそうだ。

 星野太「九鬼周造(5)」(同誌)。サブタイトルは「無窮の追跡」。いよいよ、九鬼の代表作である『「いき」の構造』が取り上げられる。ぼくは未読だけど、引用されている文を読む限り、いかにも京都学派系だな、という感じ。三木清西田幾多郎を彷彿とさせる硬質で徹底して概念的な文章。「生きた哲学」にこだわるがゆえに抱えた論理的矛盾、いや、方法論的矛盾、なのかな。九鬼の体系化にこだわる傾向が、その枠に収まりきれないモノをむりやり押し込もうと苦戦する後が、星野さんを通じて見えてくる。「生きた哲学」は、今風に言えば臨床哲学なのかな…ちょっと違うか。