わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

村田喜代子「ラスベガスの男」

「新潮」六月号より。雑誌掲載の作品は基本的にブログに書かないことにしているのだけれど、大江や古井由吉の作品とか、おもしろいものだけは書いている。
 誰も住んでいない築八〇年の実家を売るために実家に戻った六十五歳の笑子さんが主人公。連作というから、ずっと笑子さんが登場しつづけるのか。
 表題にあるラスベガスの男とは、笑子さんが海外旅行で出会った、孤独な初老の男性のこと。海外を転々とし、ゆく先々にある日本料理店などで、コミさんみたい(? 田中小実昌のことだよ)に酒を飲んでクダをまきつづける男。その男の望郷の想いを考えているうちに、笑子さん自身の望郷の念が見えてくる。実体のないノスタルジア、とでもいおうか。気軽に帰れる故郷に望郷の念など沸き起こるわけもなく、絶対的な断絶がない限り、ふるさとに恋い焦がれることなどない。しかし、そうではないノスタルジアもあるのではないか……。そんなことを考えた。