わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

脚注の夢を観た

 五時四十分起床。脚注の夢を観た。書籍の脚注だ。あの部分が延々とつづいているだけ。自分の視点でそれを見ているのは確かなようだけれど、ほかの存在は一切なく、ただ、脚注があり、何かが書かれている。ただそれだけの夢。時々こういう本だけしか出てこない夢を観る。

 今日もオフ。午前中はせっせと掃除。午後は妻と義父母宅へ。義母のiPhoneの機種変更をドコモのオンラインストアで。おいしいコーヒーをいただいた。

 夕食はピザ、マカロニサラダ、そして義母がつくってくれたロールキャベツ。ロールキャベツは時々いただくが、何度食べてもおいしい。食事しながら、Eテレ日曜美術館」。写真家(というククリはもはや相応しくなさそうだけれど)の杉本博司。現代美術とアニミズムの融合というか、アニミズムの再構築というか。数千年単位で作品の未来を考えるこの芸術家の時間感覚に圧倒された。

www.nhk.jp

 

 樫村晴香「人類最後の贈与 オイディプースとスピンクスの邂逅」(「群像」2023年2月号掲載)。今まで読んだオイディプス論の中で一番難解。

 石沢麻依「獏、石榴ソース和え」(同誌掲載)。獏の肉と不眠を結び付けている。どこか高尚さを感じさせる文体なのでグロさはあまりない。

 

 

 

 

 

咲くのは冬だが

 五時四十分起床。立春。若干寒さが和らいでいるが、それは今日がたまたま気温が高いからで、まだまだ春は遠いはずだ。近所では梅の花が咲いている。咲くのは冬だが咲けば春の気配は濃厚になる。そんな花だ。

 二十日ぶりくらいだろうか、久々の休日。午前中はせっせと掃除し、午後はランニングへ。

 

 夜はアマプラで「TENET」を観た。なんとなくはわかるのだが、細かい設定がわからない。もう一回観るかもしれない。

 

 

 

今朝の寒さは昨日の寒さとどう違う?

 五時四十分起床。今朝の寒さは昨日の寒さとどう違う? 毎朝このように自問している。大まかな気温の差しか感じられないわけだが、それを克明に描写するのは難しい。大抵の場合、その時に感じた気温以外の微細なことは、身支度をしているうちに忘れてしまうからだ。

 仕事。某案件の構成案。付箋をペタペタ、とアナログな方法で進めている。その後、銀行で事務処理。午後は別の案件の原稿、そしてさらに別の案件の修正。二十時すぎまで慌ただしく作業した。

 夕食は義母がつくってくれて、義父が届けてくれた恵方巻き。うまし。食べすぎるのが問題だ。マメを撒いたら葵が大興奮。おもちゃだと思っている。…恵方巻きは「巻き」で、豆撒きは「撒き」、どちらも「まき」という音が入っていることに今気がついた。意味は違うわけだが。

 

 

 

 石沢麻依「獏、石榴ソース和え」(「群像」2023年2月号掲載)。世界観が、最近の名作『月の三相』とかなり近い感じ。

 

 

 

ありゃま

 五時に目が覚めてしまったが、寒い寒いと布団の中で縮こまっているうちに、実は眠ってしまっていたのか、それとも時間感覚が狂っていたのかは定かではないが、いつの間にかいつもの起床時間、五時四十分になっていた。不思議だとは思わず、ありゃま、と感じた。

 仕事。某案件の構成案の修正。そして別の案件の企画書作成。合間に軽くウォーキングしたが、それほど寒くはなかったものの、風の強さは感じた。

 

 石沢麻依「獏、石榴ソース和え」(「群像」2023年2月号掲載)。睡眠からの赤の喪失、不眠症、そしてそれを補うための石榴。若い頃の金井美恵子を彷彿とさせる文体。

 

 

 

そんなリピート感覚が

 五時四十分起床。今朝もまた寒い。「また」という表現に書いている自分が違和感を感じているのだが、それでも「また」を使いたくなる、そんなリピート感覚が伴っている。

 仕事。十時から某案件の定例会議をオンラインで。念入りな準備をしつつもその場での突発的な、インプロビゼーションのようなエッセンスを求める姿勢が、この会議には満ち満ちている。

 午後、別の案件の打ち合わせを、これまたオンラインで。ぼくのコピーをデザイナーさんがうまく料理してくださった。

 夕方からは動いている案件の随時対応にただひたすら追われた。

 

  円城塔レンダリング・タイムカプセル」(「群像」2023年2月号掲載)。今の最新デジタル技術が、この作品の世界のなかでは、極端にくすむ。