- 基本はなくても困らない事件
- 五時二十分起床事件
- 早朝ミーティング事件
- 細かな指示の積み重ね事件
- 新宿「東山」へ事件
- すっころんでiPhone落とした事件
- 保護シート貼ってケースに入れておいてよかったよ事件(保護シートがりがり)
- 膝打ってちょっとイタイ事件
五時四十分起床。約3年ぶりのApple Watchなし生活、一日目。いつもなら寝ているあいだもつけっぱなしだったApple Watch(以下AW)のバイブレーションアラームで目が覚めるのだが、今日はスマホのアラーム。まったく問題ない。むしろ、起床してすぐAWを充電する手間が省けた。
身支度、動物の世話、デスクまわりの掃除・片付け、朝食。朝はけっこう慌ただしくて何度も時間を確認する。ここでAWは活躍していたのだが、時間を見るだけだから時計で十分。ただ、リビングにある無印良品の鳩時計やデスクに置いたデジタルの時計をいちいち見るよりは、手首に付けた腕時計のほうが便利。というわけで、AW購入前にランニング用として使っていたカシオの20LAP記録できるデジタルウォッチを付けた。見やすいし、軽い。そのまま一日中付けていたのだが、バッテリーを気にしなくていいことがこんな快適だなんて。
仕事。AWなしで問題なし。むしろ、メールが届くたびに着信通知が腕のほうでなるのは、結構煩わしく、集中力を削いでいたことに気付く。そしてなによりも大きいのは、時間に追われるような、何かに焦らされているような感覚が、消えてきたこと。おそらくAWの通知機能がそうさせていたのだろう。
昼前に駅前へ。郵便局などまわる。いつもならAWでウォーキングの距離を計測していたのだが、今日はスマホのランニングアプリを起動させておいた。こちらも特に不便さは感じず。
夕方、クリニックで喘息の定期検診。問題ナシ。こちらも、AWなしで問題なし。帰宅後、妻とスーパーへ買い出し。またまた問題なし。何度かスマホにメールが入った。AWがあれば即時チェックできるのだろうが、即時である必要はよほどでないかぎりなく、緊急の場合、多くの人は電話してくるから問題ないとも気付いた。むむむ…。
夕食はブリを食べた。食事にAWは関係ない。
ひとまず一日目は問題なかった。明日も問題ないような気がする。
読書はこれから。くどうれいんさんの新作を読む。
五時四十分起床。昨日は21km走ったので、少し疲れている。だが寝坊するほどではない。
成人の日。自分の成人式は三十年以上も前のことなのだと気づき、ジジイになったことを実感する。
午後、妻と吉祥寺へ。こちらは途中にある漫画をテーマにしたカフェの店頭。大御所漫画家の年賀状展をやっているみたい。
弁財天をお参り。井の頭公園、天気がいいせいか人出が多く、スワンボートや散策を楽しむ人でにぎわっていた。カルガモ、キンクロハジロ、オオバンなど。公園内の売店で夏みかんを買った。おそらく管理人さんの自宅になっていたもの。
ヨドバシカメラへ。妻のプリント用紙を購入。家電売り場でアイロンを物色するも、いいかな、と思ったティファールのコードレスタイプが品切れのようだったので購入せず。帰宅後にネットで購入することにした。スチームたっぷり、セラミックコーティングですべりがよく、おまけに軽量。1200Wだからおそらくパワーも問題ないと踏んだ。
帰宅後は牛すね肉を圧力鍋で煮込んでビーフシチューをつくった。
田村正資「あいまいな世界の愛し方(1) 無関心の反対は」(「群像」2025年1月号)。学問的な枠を取り払った上での、メルロ=ポンティの現象学論。「私たち(人間)があいまいな仕方で、あいまいな世界に寄りかかって生きているその在り方について」が今後展開されるようだ。少し引用。
現象学とは、自分と世界のあいだで生じる経験という出来事を対象にした学問だ。それが学問になるのは、経験という出来事が単に「私+世界」という足し合わせではなくて、私と世界のあいだの複雑な掛け算、関数のようになっているからだと思う。それがどんな関数なのかを解明することが学問としての目的なのだけれど、その過程で私たち一人ひとりに副残物をくれる。「私たちは決して世界に対して無関心ではいられない。つねになんらかの関心=問いとして世界に存在してしまっている」というメッセージだ。私の経験は、私抜きでは語れない私のものだ。私の経験から私を引き算することはできない。私たちは無関心の対極にある存在だということを、現象学は教えてくれる。私たち胃は無関心の反対としてこの世界に臨んでいるのだ。
五時四十分起床。今日は完全オフに。日の出前の家のなかは冷え冷えとしているが、身支度をはじめると寒いと感じなくなる。だが葵は布団から抜け出したくなかったようで、今朝はぼくが朝食を取り始めるまでの一時間、まったく遊んでくれと言わなかった。そんな怠惰さ、わがままさが、いかにも猫らしい。
午前中は掃除、アイロン。アイロン、なんだか温度が上がらず、スチームもうまく出てこない。2014年に購入したものなので、今年で十年超え、そろそろ寿命か。コードレスなのだが、冷めやすいので次回の買い換えはコードありにしようと思っていた。いろいろ物色してみるつもりだが、たぶんティファールを買うと思う。昔は三台くらい連続で買ってたかな。
午後はランニングへ。善福寺川沿いを15kmくらい走ろうかな、と思っていたが、結果としてハーフマラソンになってしまった。
いつもApple WatchのNIKE Runningアプリで計測してるのだが、省電力設定でもゴールした途端にバッテリーが切れた…。レースに出るわけではないから高精度なランニングウォッチは不要、Apple Watchはバッテリーに難があるからランニングには使えない、そして毎日ウォーキングや筋トレを欠かさない僕の使い方では、バッテリーが3年持たない。本気でApple Watchやめて、スマホ用アプリだけ使おうかと思案中。トータルの走行距離は知りたいものの、ランニング中にペースとか把握する必要はない。そしてある程度自己管理する自信はあるから、筋トレの際にApple Watchを稼働させておく必要はない。一日の運動量もコントロールする必要はない。Apple Watchって自己管理を習慣化するためのもの、と考えたら、やはり自分には不要と思いはじめている。普通のアナログ時計、仕事用のものは処分してしまったので当面は時計として使うつもりだが、近々、納得できる品質で金属アレルギーの心配がないアナログ時計を購入し、Apple Watchは卒業する…つもりになっている。今のところは。
五時四十分起床。女優の波瑠さんが夢に出てきた。なんでだろ。
土曜だが、仕事。某家電メーカーの案件。明け方にメールで届いたデザイナーさんのデータを確認し、コピーを書き起こし、企画書をまとめる。午後早めには作業が落ち着いたので、業務終了。仮眠を取ってから、妻と長めのウォーキング。知らない道をただひたすらにクネクネと。まだ正月飾りを片付けていない家がチラホラ。それを眺めるのが楽しい。一戸建ての庭には柑橘系の木々に実がたくさんなっていた。もぎって食べてみたくなる。
安藤礼二「大江健三郎論(1)」(「群像」2025年1月号)。大江さんの書記の単行本未掲載の短篇なども豊富に引用しながら(どうやって手に入れたのか) 、大江作品に通底している怪物性、虚構的な故郷の存在、そして強姦のような性と暴力のエッセンスについて論じている。そうなんだよ、大江さんの書記作品って、グロいし暴力的なんですよね。晩年の作品もちょっとそういう面があるけど。
五時四十分起床。女優の波瑠さんが夢に出てきた。なんでだろ。
土曜だが、仕事。某家電メーカーの案件。明け方にメールで届いたデザイナーさんのデータを確認し、コピーを書き起こし、企画書をまとめる。午後早めには作業が落ち着いたので、業務終了。仮眠を取ってから、妻と長めのウォーキング。知らない道をただひたすらにクネクネと。まだ正月飾りを片付けていない家がチラホラ。それを眺めるのが楽しい。一戸建ての庭には柑橘系の木々に実がたくさんなっていた。もぎって食べてみたくなる。
安藤礼二「大江健三郎論(1)」(「群像」2025年1月号)。大江さんの書記の単行本未掲載の短篇なども豊富に引用しながら(どうやって手に入れたのか) 、大江作品に通底している怪物性、虚構的な故郷の存在、そして強姦のような性と暴力のエッセンスについて論じている。そうなんだよ、大江さんの書記作品って、グロいし暴力的なんですよね。晩年の作品もちょっとそういう面があるけど。