わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・哲学・思想の読書日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

生家へ(色川武大風/ホントは生まれた家ではないけど)

 七時三十分起床。心配していた雨は気配すらなく、しかしだからといって空がアホみたいにすかっと抜けた正月独特の青空を見せているというわけでもなく、薄く途切れ目のない雲がどこまでも、太陽の位置によってわずかに色味を黄色く変えたりほんのりと輝いたりと変化は見せながらも、おおむね平坦に拡がっている。空を眺めながら、はて初夢は、と思い返してみるが、元旦の明け方に見たジャンボセキセイインコの夢のインパクトが大きすぎたのか、見なかったのか、まるで覚えておらず、ああそうか、今日の雲のような、平坦でわずかに変化のある夢をだらだらと見たのかもしれない、と考えると合点がいった。
 十時、外出。荻窪の「ルミネ」でチーズ&ワインの福袋というものを買い、それを手土産に茨城は古河にある実家に向かう。湘南新宿ラインはひどい混雑だったが、運よく赤羽あたりで座ることができた。大宮までは読書しながら、それ以北はやはり平坦につづく枯れた田畑や住宅街を眺めながら、到着を待ちつづけた。
 十二時三十分、古河着。西口のロータリーから「パチンコ1000番」の前を通って旧「かもじや本店」方面に向かい、突き当たりを左に折れて旧「枡善」の前を歩き、通っていた小学校の正門横から、今まで存在を知らなかったお不動様の横を通り、小学校時代の夏休みのラジオ体操会場になっていた八幡神社の前や清酒「御慶事」の造り酒屋の前を抜けて自宅まで、最短距離の三、四倍の遠回りで歩いたが、どこだこの街は。変化の大きさについていけず、自分の故郷を失ったような気分になった。ノスタルジーに浸りたい気などさらさらない。地元への愛着もすでにかなり薄れている。都市の変化は文明にとって避けられないものだという本質的なことも承知している。だからこの変化も受け入れるつもりではいる。それでも喪失感に捕らわれてしまったのは、おそらくは都市の変化のベクトルが気に入らないからなのだろう。われながら身勝手な喪失感だ。
 実家ではおせちや持参したチーズを食い散らかした。父親、本棚やタンスの上はきれいにしているくせに神棚を汚していたので注意したら、どうでもいいんだ、みたいな返答をしたのでそんなんじゃだめだ、とさらに怒った。よくケンカにならなかったと思う。
 ぷちぷちの給餌が心配なので、早めに帰った。