わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

はじめての胃カメラ

 七時三十分起床。朝食は水分以外は摂らない「整食法」という健康法をもう一年以上つづけているので夕べからの絶食こそ苦にはならないものの、朝、目覚めた後の一杯の水がこれほど愛おしいものだとは思わなかった。水は生命の源である、と陳腐なことを考えてみる。飲まなきゃ、死ぬ。もっとも、飲んだら死ぬ水もあるのだろう。今の自分にとっては、大切だけれど手が届かぬものだ。片思いである。
 十時過ぎ、高円寺にある河北検診センターへ。受付を済ませ、更衣室でさっぱりした作務衣といった形の診察着に着替え、七分丈のズボンから脛毛をエアコンのぬるい風にそよがせながら、診察番号が呼ばれるのをラウンジで待つ。健康診断や人間ドック、各種検診を受けに来たニンゲンたちが、ラウンジにはあふれ返っている。三十名は下るまい。みなぼくと同じ作務衣みたいなのを来ている。健康センターの休憩所のように見えなくもないが、誰もリラックスなんてしていない。誰もが、わずかではあるが緊張が見え隠れさせている。緊張を生み出しているのは、健康への不安だ。ぼくもおなじである。レントゲンに写った胃潰瘍の跡は、ほんとうに胃潰瘍なのだろうか。まあ、検査すればわかる。
 番号を呼ばれ、診察室へ向かう。最初にさかずきくらいのプラスチックのコップに一杯、バリウム様の液体を飲まされる。胃の中の泡だちを抑えるためのものだそうだ。つづいて喉の麻酔。よくわからん液体を渡され、口に含んだら上を向いて喉のあたりに溜め、そのまま上を向いて一、二分じっとしていろという。いわれた通りにしていたら、だんだん喉がしびれ、感覚が鈍くなってきた。ずっと上を向いているのは、肩凝り性で首もあまりよくないぼくには酷である。実際には、三、四分やっていたような気がするが、どうだったのだろう。いやな体験は、じっさいより時間が長く感じられるものだから。
 肩に胃の動きを止めるための薬を注射され、すぐにベッドに横向きに寝かされた。心臓が上になる寝方だ。口に固い筒をくわえさせられ、そこに黒い管が差し込まれた。指くらいの太さはあるだろう。固い。その、黒くて固い(と書くと、いやらしいな)管が、喉を通っていくのがわかる。喉に意識を集中させてみたら急に苦しくなり、ケホ、コホ、ゲホ、オエッとはじまってしまった。開けっ放しの口からはよだれがあふれ出してくる。悲鳴を上げながら逃げ出したくなったが、黒くて固い管を差し込んだままでは身動きできない。深呼吸しろ、鼻から吸って口からゆっくり吐け、と言われる。管の動き、差し込まれ具合ではなく、呼吸に意識を向けてみたら、だんだんケホケホしなくなってきた。慣れてきたので、ふたたび管に意識をもってゆく。胃の中でくにゃくにゃ動いているようだ。だんだん下へ降りてゆく。腸に入れますよー、と言われたような気もする。腹の、ヘソのあたりまでむずむずした。撮影のために、胃や腸のなかに管を通じて空気を送り込むらしいのだが、それがグヘエー、と口からゲップになって漏れてくる。喉の異和感には慣れたが腹が張って苦しい、また逃げ出したくなってきたら、それでは空気を抜いて管をはずします、と言われた。すると張っていたはずの腹が元通りになってゆく。管には空気を吸う機能もあるらしい。これには驚いた。胃カメラで写真が撮れることよりも驚いた。
 正式な結果は十日後らしいが、検査直後の担当医の所見はすぐに聞くことができた。結果は、問題なし。レントゲンに写っていたという胃潰瘍の跡はどこにも見当たらないという。要するに誤診ではないか。そう思ったが、胃カメラ担当のこの先生にそんなクレームをつけても困るだけだろう。黙っておいた。しかし、内視鏡検査の料金は払わされるわけだ。金を払って、苦しい思いをして、終わり。そう考えるとむなしいが、健康であることを確認できたことだけで今のところは満足、感謝することにしよう。
 十二時、帰宅。家に着くまでは、喉のしびれた感じがずっと取れなかった。最初はつばも飲み込めないありさま。飲み込むという行為は、喉の筋肉などを使って食べ物を上から下へ送り込むことだ。この機能が麻酔によってマヒしたらしい。
 午後からは仕事。某健康食品メーカーDM、某筆記具メーカー新聞広告など。
 夕方、腹が減ったと騒ぐ花子に何度も手を噛まれた。