わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『山躁賦』

 中期の連作短編集。裏表紙には、物語型の小説からの転換期にある小説だ、といったことが書かれていた(みたいだ)。
「無言のうちは」読了。古井自身と思われる男が、病み上がりの身で京都に一人旅に出かけるが、宿で夜中に、熱にうなされたような、しかし熱は出ていないのだが、幻覚を見る。ただそれだけ、物語を「流れ」とすれば、「点」を描いたような作品。だが、その点がなぜか遠近感を持ちはじめ、そして世界が揺るいだり確かな像を結んだり、と騒々しく蠢く。まあ、これは近年の古井さんの作品もおなじなんだけど。なにはともあれ、へんちくりんな書き出しに脱帽。引用。

 あれは何と呼んだか、頭巾か帽子か、茶人のかぶる隠居のかぶる、宗匠のかぶる、いやたしかに僧侶らしい、品よく痩せた老人が食堂車の隅の席で、二重回しというのか和服の外套の、寛やかな袖の内から両手を端正に動かして、ナイフとフォークを使っていた。

 なんだこれ。こんな文章構造、アリ? うーん、アリなんだよなあ。

山躁賦 (講談社文芸文庫)

山躁賦 (講談社文芸文庫)