わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

伊藤比呂美『ラニーニャ』

 台風の被害に遭った日本の家での暮らしぶりの描写が徹底的に悲惨。比呂美ねーさんの場合、小説も基本的に詩人の視点と言葉で書いているように思えるので、この描写を(虚構世界における)現実と受け止めるべきなのか、それとも描写全体が何かの比喩なのか、詩人のフィルタを通してみたからこう書かれているのか(要するに、作者にとっての真実ということ。読み手はどう読んでも構わない。小説の場合、こう読んでもらわないと困るという部分が多かれ少なかれあるはずだが。とはいえ小説も、どう読んだって構わないとは思うけどさ)、はよくわからない(ここが、詩人が書く小説を読むことの難しさなんだと思う。金子光晴の『風流尸解記』もそんな感じだった)。生活の破綻は家族の心の中よりも「家」に強く現れるものだ、と伝えたいのだろうか。それが一転、アメリカに渡ると「家」ではなく、家族ひとりひとりの肉体(と、言葉?)に、ダイレクトに現れてくる。これは国の違いとか文化の違いとかいうものではないみたいだけれど、そのあたりはまだよくわからん。ともかく、破綻の仕方の対比が、日本の家を描くことでより際立っている。家がぶっ壊れるか、家族の肉体がぶっ壊れるか。ぶっ壊れた家は建て直そうとしなければ再生しない。が、ぶっ壊れた肉体は自然治癒する可能性がある。とは書かれていないけれど。うーん。
ラニーニャ

これは参考。

風流尸解記 (講談社文芸文庫)

風流尸解記 (講談社文芸文庫)