わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

予感

 五時四十分起床。今日も五月晴れ、東側の窓から差し込む朝日の明るさと鋭さを見ただけで、暑くなる予感がしてくる。とはいえ湿度はさほど高くなさそうだから、それなりに快適なのかもしれない。カリフォルニアあたりの気候はこんな感じか、こういった空模様の日にはよく考えるが、行ったことはなく、いまのところ行って確かめる気も起きていない。

 完全休日。掃除したり、読書をしたり。そしてテレビ。毎週土曜日、楽しみにしているMX「ぐるり東京江戸散歩」。テレ東「もやさま」を少し見てから、その流れで「家着いていっていいですか」の総集編を少し。

 十五時、ランニングへ。まだハムストリングスが完全ではないので、ゆっくり6.5km。最後のほうだけ少しいつもと同程度のスピードを出してみたが、大丈夫そうだ。善福寺池に大きな鯉のぼりがたくさん掲げられていた。個人宅で大きなものは飾れないし、そもそも飾る家も少ない。季節の暁治は、こうした公共施設での催し物に集約されていくのかもしれない。風情と効率、両方を求めたら自然とこうなる。

 夕食は牛肉と筍のオイスターソース炒め、水餃子スープなど。食べながら、録画しておいた「家事ヤロウ」を見る。前半は和田明日香の新キャベツ料理、後半は冷凍チャーハンのど素人ランキング。後半のアイデアは秀逸。最高に面白く、最高にグダグダだった。

 

 長野まゆみ「もう森へ行かない」(「群像」2024年5月号掲載)。出生の秘密、なのかな。

 吉岡乾「ゲは言語学のゲ(10)」(「群像」2024年5月号掲載)。言語における人名の付け方についてのラフで楽しい考察。宗教との関連性があるような、ないような。そして現代の日本におけるあまりに自由すぎる命名法。著者がいうように、ぼくも人命に「淘汰」「沙汰」の「汰」という字をつけるのはどうかと思った。「選び分ける」「分を超える」といった意味があるのだが、多くの場合、ネガティブな使い方をされているような。ま、どんな名前であろうが自由なのだけど。

 大澤真幸「〈世界史〉の哲学 現代篇(30) 「知っている神」と「探偵」」(「群像」2024年4月号掲載)。ピューリタンの終末論、最後の審判と資本主義との関連性の考察から、なぜピューリタンが終末論を信じ、その信仰にもとづき敬虔質素な行動をとるのか、についてを「アブダクション」という視点から、そしてなんと「シャーロック・ホームズ」を起源とする(のかな?)探偵小説を鍵として考察している。