わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

無意識と設定/共通点と差異/最終日

 気が緩むと目覚しを無意識のうちに操作するようになるらしい。八時にセットしたはずの目覚しは鳴らず、いやどうやら一度はなったようなのだが、自然に目覚めたところで目覚しを確認したところ、時間は八時二十八分、そして目覚しが鳴るようセットした時間は八時三十分だった。ぼくは一度目覚しがなったか、あるいは鳴る前のタイミングで目覚しを八時三十分にセットしなおしたことになる。今日は休日だ、まあ何時まで寝ていてもいいといえばいい、という認識が、ぼくに目覚しの時間設定を変更させたのだろう。どうでもいいけど。
 新聞を取りにマンションのエントランスへ。少々遅めの黄色がかった朝の光が、南に面したエントランスの西側のレンガタイルが貼り付けられた外壁を明るく照らしている。その壁の前に立ち、深呼吸してみる。早朝の凛とした空気の澄んだ感覚はすでに失せているものの、外気は冷たく光は暖か、そのギャップがみょうにすがすがしく感じられる。向かいの古い一戸建ての生け垣から飛び出している背の低い桜の木に目を向けてみる。つい数カ月前は毎朝、一丁前にしっかり繁った濃い緑色の葉を夏の朝の鋭い光が照らし、きらきらと真っ白に輝いていた。その葉はすでに大半が失せ、若い枝が毛細血管のように広がっているのが丸見えだ。その枝を、冬の黄色い朝日が照らす。枝がほんのすこしだけ黄色を帯びた白に輝いている。照らす光も、照らされているものも違うのだが、輝き方はどこかでつながっている、なにかが共通している、とふと思った。印象派の画家たちも、この光の共通点や差異に気づいただろうか。それを描きたいと思っただろうか。思ったろうなあ。
 十時過ぎ、カミサンは個展会場へ。ぼくは自宅で花子と麦次郎を交互にかまったりしながら過ごす。義母からいただいた讃岐うどんの麺を使って、アホみたいに簡単な釜揚げ納豆ズルズルうどんで昼食。
 十五時、個展会場である「ギャルリ・カプリス」へ。「梶原美穂個展 なまけ猫王国6 十猫十色」今日が最終日。顔を出すことにした。おかげさまで大盛況のうちに無事終了。mixiを見た、というお客様が非常に多くて驚く。mixiの皆様、梶原ファンの皆様、ギャラリー常連の皆様、なにげなく来てくださった皆様、友人のみんな、どうもありがとう。次は来年五月、高円寺で個展を開催する予定。楽しみにしていてください。梶原が、必ず期待以上のものを見せてくれます。