テーマは江藤淳/戦後思想。江藤淳、まったくの未読なのだが、それが恥ずかしくなるくらい今号の内容は充実していた。いつか読むぞ、という意思表明も含め、源一郎さんが引用した江藤の「『ごっこ』の世界が終わったとき」の一部を引用。この日記を読んだ人には唐突かも思えるだろうが、覚え書きみたいなものなので許してほしい。
(前略)こうして右へ行けば『米国』にぶつかり、左へ行けば『毛沢東』にぶつかる。政府のナショナリズムも、反体制側のナショナリズムも、必然的に『ナショナリズムごっこ』の観を呈せざるを得ないのである。
ナショナリズムが『ナショナリズムごっこ』になるように、インターナショナリズムもまた戦後の日本では『インターナショナリズムごっこ』に堕さざるを得ない。たとえばベ平連の運動などは、その典型的な一例だと考えられる。(中略)
かくしてここでも自己同一性(アイデンティティ)が混乱しているという事情は同様と言わざるを得ない。ベ平連の指導者は私権の原理を主張するが、この世界には実は私権などというものは存在しない。なぜならこの世界には公的なものが存在し得ないからである。『ごっこ』の世界とは、したがって公的なものが存在しない世界、あるいは公的なものを誰かの手に預けてしまったところに現出される世界、と定義することができるかもしれない。それなら公的なものとはなにか。それは自分たちの運命である。故に公的な価値の自覚とは、それが生甲斐というものであり、この覚悟がないところに生甲斐は存在しないのである。
私権というものは、もともと公的な価値との緊張関係がないところには存在することができない。現にわれわれの周囲にあるのはわたくしごとだけである。全共闘もわたくしごとなら反戦青年委員会もわたくしごとであり(中略)それどころか国家すらなにがしかわたくしごとの様相を呈していないとはいえない。
現代という時代が「ごっこ」すなわち真似っこ遊びの時代、公的なものが存在しない世界だとは思わないけれど、私権が公的な価値との緊張関係がないところにだけ存在する、という考え方は十分現代に通用する。ぼくはついつい、何人かのここ1カ月程度のうちに新聞を何度も騒がせた政治家たちを思い出してしまう。
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