わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

出不精神

 共鳴、と書くと科学的あるいは超科学的な匂いがたちまち立ち込めてくるが、ごく日常的な範囲でも共鳴が起こることは十分にある。二時半頃だったか、どちらかが鳴きはじめた。何かを求めていること、おそらくは人に構ってほしくて鳴いていることは、その声音から容易に察しが付く。アオーンアオオン、ナアアアーンと鳴く。するともう一方も鳴きはじめる。わが家の猫のことだ。二匹は五年前に突然ケンカをし、それ以来家庭内別居がつづいている。花子が鳴きはじめても麦次郎が鳴くと花子が黙る。麦次郎はそのまま鳴きつづけることもあるが花子はたちまち黙りこくってしまうことが常なのだが、夕べはどういうわけか、二匹とも延々と鳴きつづけた。根比べでもしていたのだろうか。その後麦次郎はゲロを吐いたらしい。花子は走ったり飛んだりを繰り返していたが、早めのゴハンを食べたらすっかり落ち着き、布団に横たわるぼくにぺったりと身体を寄せて寝はじめた。が、一連の行動でこっちはすっかり目が覚めてしまい、一時間ほど悶々としてしまう。
 六時三十分起床。眠気は飛んでいたが、部屋の暑さに辟易とした。ところが一歩外に出れば、曇り空ではあるが気配も気温も風も秋だ。どういうことなんだ、部屋の中は暑すぎる、なぜ部屋が冷えない、いや、部屋だけ冷えない、とブツクサ文句をタレながら身支度。まあ、文句と言うよりも部屋だけ冷えないことの不思議さに関心を奪われていたと言ったほうが正確なのだが。
ゲゲゲの女房」を観る。大杉漣の演技、スゲエ。
 掃除、アイロンがけ。暑い。
 昼食後、そんな神がいるかは知らんが、この夏の暑さとともにやって来た出不精神にすっかり取りつかれていたカミサンの尻を叩いて阿佐ヶ谷へ。ぼくは吉祥寺で草間弥生展を観てから書斎用のテレビを買いたかったのだが、吉祥寺はアトレがフルオープンになる来週のほうがおもしろいというのでヤメにし阿佐ヶ谷ということになったものの、がんもどきだの野菜だの、まあ荻窪でも当然手に入るのだが阿佐ヶ谷に気に入っている店があるので、ということでいくつかの買い物をしただけであっという間にすることがなくなり、なんだかなー、という気分でとっとと荻窪に戻ってしまった。出不精神は貧乏神とは違うから、つかれっぱなしでもまあいいのかもしれないな、と勝手に想像した神をあれこれ分析するという馬鹿なことを脳内で繰り広げながら帰宅した。
 夕食は阿佐ヶ谷で買った豆腐を生地に練り込んでいる水餃子、空心菜の炒め物、茄子の油漬け。食事中に観ていた「Qさま 漢字王決定戦」がおもしろくて最後まで観てしまった。