わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

はじめてのミーゴレン

 六時起床。ここ数日はアイデアがジャバジャバと(というのは大げさだが、まあ普段よりは勢いよく)湧き出てくる状態で、なんだかアイデアに尻を叩かれて無理やり起きたような気分。しかし、だからといって睡眠中にアイデアが湧いていたわけではないと思う。
 身支度、掃除、仕事。某健食メーカー企画、某大学広報など。飽きたら読書。日曜なのでお気楽呑気を決め込んでいる。
 昼食はカミサンがバリ風ミーゴレンをつくってくれた。たぶん以前にカルディコーヒーファームhttp://www.kaldi.co.jp/ で買ってきたお手軽セットなのだが、うーん、語感からナシゴレン東南アジアらしい強烈な香りとエネルギッシュな味を想像していたのだけれど、拍子抜けるほどマイルドな味だったのでびっくりした。この手のエスニック焼きそばという感じの麺では、パッタイが一番好きだ。
 十八時過ぎ、散歩へ。オレンジ風味の乳飲料を思わせる柔らかな夕陽が横へ横へとたなびくグレーがかった雲をまだらに染めるのだが、その光がどういうわけか南の空を渡って東のほうにまでじんわりと広がっていた。荻窪のカルディでクミンパウダー、クローブ、パスタ(乾麺)、ホールトマト、グリーンカレーの素など購入。パッタイの素は買わなかった。ミーゴレンの素ももちろん買っていない。
 夕食はスープカレー風のビーフカレー。野菜のすりおろしとトマトジュース、そして先日つくった叉焼の残りのタレがベース。圧力鍋で一気に火を通した。肉はほろり、スープは旨味が濃縮されていて美味。自画自賛。

三浦雅士「孤独の発明」(9)

「群像」9月号掲載の連載評論。どうやら小林秀雄が軸になっているようで、小林は「無常といふ事」くらいしか読んでいない僕がこの評論を読んでも意味ないかな、と思って避けていたのだが、気が向いたので読んでみたら、おもしろすぎて止まらなくなってしまった。小林を読んでいなくても十分楽しめる。
「私と零と無限」という章の1回目。小林が残した「自分といふものは目がさめたらゐたんですからね」「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれたらう、然し彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚く可き事実である」という言葉を、谷川俊太郎大江健三郎川上弘美宇野千代古井由吉といった日本を代表する、でもちょっとバランバランな感じがしないでもない作家たちの作品を引用しながら掘り下げていく。ぼくにとってはおもしろくない部分がまったくないといってもいいくらい刺激的な評論なのだが、中でも古井由吉の最新作『やすらい花』についてが特にスゴかったので引用。そうなんだ。古井由吉の魅力はまさにコレなんだ。

 古井の小説に行為はない。だがそれは三島の小説がそうであるようにではない。逆だ。小林の言い方に倣えば、三島の小説は「やるまでの小説」だが、古い世の小説は「やっちゃってからの小説」なのだ。古井にとっては、すべての行為はすでに終っている。そうして、動機らしい動機がないその動機を確かめようとして、子tばがざわめき揺れ動き続けているのである。その果てにしばしば大空襲に燃える街が見えてくるのは偶然ではない。古井はひたすら、小林の言う「焼いてからのこと」を書いているのだ。むろん、古井は焼いた側ではなく、焼かれた側である。だが、古井の文体においてはつねに受動は能動へ、能動は受動へと反転する。円上の動機は同じようにさぐらなければならない。

 暇を見ながら、第一回目から読んでみるつもりだ。

群像 2010年 09月号 [雑誌]

群像 2010年 09月号 [雑誌]

人生という作品

人生という作品

やすらい花

やすらい花

三浦雅士の作品はこちら。

水木しげる『墓場鬼太郎 貸本まんが復刻版』(3)

 鬼太郎、すっとぼけた表情でそうとう悪いことをしている。アニメ化されると必ずリメイクされる「幽霊電車」のエピソードの原形も組み込まれている。

墓場鬼太郎 (3) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-9))

墓場鬼太郎 (3) (角川文庫―貸本まんが復刻版 (み18-9))

水木しげるの作品はこちら。

レーモン・ルーセル/岡谷公二訳『ロクス・ソルス』

 まだ数ページしか読んでない。保坂和志が『小説の誕生』で紹介していたので読む気になった。牧眞司も『世界文学ワンダーランド』で取り上げている。

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

小説の誕生

小説の誕生

世界文学ワンダーランド

世界文学ワンダーランド