「群像」9月号掲載の連載評論。どうやら小林秀雄が軸になっているようで、小林は「無常といふ事」くらいしか読んでいない僕がこの評論を読んでも意味ないかな、と思って避けていたのだが、気が向いたので読んでみたら、おもしろすぎて止まらなくなってしまった。小林を読んでいなくても十分楽しめる。
「私と零と無限」という章の1回目。小林が残した「自分といふものは目がさめたらゐたんですからね」「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれたらう、然し彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚く可き事実である」という言葉を、谷川俊太郎、大江健三郎、川上弘美、宇野千代、古井由吉といった日本を代表する、でもちょっとバランバランな感じがしないでもない作家たちの作品を引用しながら掘り下げていく。ぼくにとってはおもしろくない部分がまったくないといってもいいくらい刺激的な評論なのだが、中でも古井由吉の最新作『やすらい花』についてが特にスゴかったので引用。そうなんだ。古井由吉の魅力はまさにコレなんだ。
古井の小説に行為はない。だがそれは三島の小説がそうであるようにではない。逆だ。小林の言い方に倣えば、三島の小説は「やるまでの小説」だが、古い世の小説は「やっちゃってからの小説」なのだ。古井にとっては、すべての行為はすでに終っている。そうして、動機らしい動機がないその動機を確かめようとして、子tばがざわめき揺れ動き続けているのである。その果てにしばしば大空襲に燃える街が見えてくるのは偶然ではない。古井はひたすら、小林の言う「焼いてからのこと」を書いているのだ。むろん、古井は焼いた側ではなく、焼かれた側である。だが、古井の文体においてはつねに受動は能動へ、能動は受動へと反転する。円上の動機は同じようにさぐらなければならない。
暇を見ながら、第一回目から読んでみるつもりだ。
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