わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

余韻/夜捨/世俗/睡魔

 日本中が昨夜の勝利の余韻に浸りつづけていたのだろうか。テレビはほんの数分だけオンにしてみたが、何局かでゴールの瞬間を繰り返し再生しては、熱心に日本の強さを語っているようだ。新聞の一面にもワールドカップ出場決定を報じるブロックができている。スポーツ新聞の売れ行きはどうなのだろう。七時に駅を通りかかったときは、キオスクの新聞はずいぶん減っていたように思えるが、いつもがどの程度なのかわからないので判じようもない。タイムカードを押し、席について第一声は「やったねえ」なのか。カミサンとふたり、ともにさほどスポーツ観戦に興味はないコンビで地味に有限会社などやっていると、世間の熱狂――あるいは失意――に極端なほど疎くなる。情報はテレビなり新聞なりネットなりですぐに入手できる。吸収できる。問題は、それを世間がどのように受け止め、騒ぎ立てているかがわからないということだ。自分は社会の一員であるという自覚はあるが、一方で自分は社会の中心からずいぶんと離れた場所にいるという自覚もある。夜捨てではない。むしろ俗には嫌というほどまみれている。ただ、流行や熱狂の一部を捨てている。捨てるというよりは諦めているというべきか。少なくともそれらは他人事である。
 
 六時、起床。今日も身体が妙に重たい。まだ酔いつぶれを引きずっているのだろうか。情けない。
 七時、事務所へ。Q社企画に集中する。集中しすぎると最近はどういうわけか眠くなる。交感神経を使いすぎて副交感神経が暴走するとはおかしな話だが、以前自律神経失調でそんな診断をされたことがあるのを思いだした。体質というものがあるように、ぼくの神経固有の性質なのだろうか。
 十五時三十分、吉祥寺パルコの「白山眼鏡店」へ。先日注文したメガネを引き上げる。「リブロブックス」で、『群像』七月号、町田康『告白』『浄土』を購入。また読むより買うペースが速くなってきてしまった。いけない傾向。
 二十時過ぎ、ひとまず終了。アタマがオーバーヒートしている感覚。くすぶっているのに、眠さがある。思い出すとなんとも不思議だが、その瞬間はそんなことは一切感じない。
 
 帰宅後、腕立て伏せをしていたら花子が目の前でゲロを吐いた。
 麦次郎には、遊べ遊べと何度もせがまれた。後ろ足で蹴られたのでアタマをペタリと叩いてやったらおとなしくなった。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。鐘撞き法師の往生譚。マンションの砂場の犬猫ウンコ。
 

浄土
町田康『浄土』

告白
町田康『告白』