わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

入梅

梶原美穂「なまけ猫的曼荼羅」

 入梅したらしい。それほど明確に季節に線引きができるものか、と毎年不思議に思うが、梅雨を季節と考えるか気象現象と考えるかでこの線引きの意味や受け容れかたは違ってくるのではないか。季節だとすれば、今日から梅雨です、などと宣言されるのはよけいなお世話だ。しとしとと毎日静かな雨が降りしきり、柔らかに開きはじめた紫陽花の花を濡らす。洗濯物が乾かなくて困る、などと苦笑する主婦の会話をあちこちで耳にする。自身も洗濯物の乾きの悪さに困りはじめる。陽が恋しくなる。だが静かに考えに没頭し物思いにふけることができるこの長雨も捨てたもんじゃない、などと感じるようにもなる。そんなことの積み重ねが、梅雨という「季節」なのではないか。一方、気象現象としての梅雨はもっと科学的だ。気圧配置から梅雨前線の存在を割り出し、その位置から降雨の確立や長期化の傾向などを予測する。現象がつづくと確信できるだけの要素、物証――とはおかしな言い方だが…――が揃えば入梅だ。
 どちらの捉えかたが好きか。そんなことを考えるのは無駄だ、というくらいに現代社会は科学化されているようだ。しかし、どちらの捉えかたも真理には近い。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。雨。雨音はしない。静かに、細やかに、ひっそりと降っている。気のせいか通勤のひとが少ないようなのはなぜか。梅雨だからサボる、などとついつい短絡的な想像をしていしまう。
 
 Q社企画。十三時三十分、雨の中小石川のL社へ。打ち合わせ。帰社後、またQ社の件に没頭する。何度かデザイナーのU氏と電話で打ち合わせ。
 二十時三十分、閉店。
 
 カミサンの大作「なまけ猫的曼荼羅http://www.catkick.com/namake/kokuchi/05kotenkokuchi.htmlが売れたそうだ。よかった。あんなデカい絵、売れ残ったら保管に困る。あれを飾れるとは、どれほど広い家なのか。長く楽しんでほしいと思う。

 多和田葉子『ゴットハルト鉄道』を読みはじめる。文体が特異、内容も特異なのでときどき読むが、特異であるということだけは記憶しつつも、内容をさっぱり覚えていないことが多い。
 古井由吉『仮往生伝試文』。釣鐘泥棒の手口の検証。


ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)
多和田葉子『ゴットハルト鉄道』