わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

畑荒

 七時三十分、起床。雨は降っていないようだ。湿度は高い。ような気がする。
 
 九時、事務所へ。休日出勤。誰とも会わず、誰ともしゃべらずに黙々と、ただ黙々とQ社カタログの企画を考えつづける。夕方になるとさすがに集中力が途切れた。目が霞むくらいはかわいいもんだ。尻が痛い。いや正確には尻の横、腰といったほうが正確なのか、横っちょの筋肉が凝っている。右手は腱鞘炎の症状がまたまた出てきた。背中が痛い。肩甲骨のあたりが悲鳴をあげている。体操をしたり仮眠をとったりするが、所詮はごまかしだ。ひとと交わらずに作業すると、どういうわけか疲弊するのが早まる。かといって能率は上がっているのかどうか。
 夜、カミサンが個展会場から戻ってくる。ようやく話し相手ができたが、呑気に会話など楽しんでいたら今日中に作業が終わらない。気がせいてくるが、焦ると仕事のクオリティが落ちる。
 二十三時、業務終了。閉店ギリギリに西友ファンケルの青汁を買って帰る。
 雨雲に覆われているのか、星は見えない。薄墨のような夜空のもと、ふらつきながら歩く。身体が、というよりも精神がふらついている。土のなかにずぶずぶと埋まりながら歩いているようだ。雨後のぬかるんだ畑に侵入し、荒らして遊んでいた子どものころを思い出す。だが今はまったく楽しくない。早く帰って風呂に浸かってパタリと倒れたい。そう思いながら家路を急げぬ身体と急げぬ精神で急いでみたが、帰ってみると疲れはピークになっているものの、パタリとしたいと思わなくなる。花子の世話、そしてこの日記。十分足らずだが読書もした。これからストレッチをするつもりだ。
 
 古井由吉『仮往生伝試文』。なんとなく好きで、手をかけていた植物。世話していたものの死後はどうなるのだろう。出棺は、植物でいっぱいになっていた庭からではなかったとある。往生ではない。現代人の死だ。