わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

世界は言い訳でできている

 一年の計は元旦にあり、というがそんな言葉は信じないようにしている。昨夜、日付が変わり年が改まった直後にしたことといえば、夕食に使った食器の洗い物である。ならばこの一年は洗い物にはじまり、洗いつづけて、洗い物に終るとでも言うのか。比喩、暗示と考えることもできなくはないが、それはいわば結果論的なこじつけではないか。と、元旦を迎えるたびにそう思ってしまうのだが、実はこれは、怠惰な寝正月、いや正確に言えば喰っちゃ寝正月を繰り返す自分のせこい自己正当化でしかない。いやならやめればいい。だがやめられない。それが正月というものか。甘えと許し、生活における無責任な自由が正月の正体か……そんな考えもまた、自己正当化へとつながってしまう。世の中とは言い訳でできているのだろうか。なにはともあれ、謹賀新年。
 九時起床。掃除こそしなかったが、結露拭きやら観葉植物の世話やら花子麦次郎ぷちぷちの世話は、いつもの朝と変わらない。午前中のうちに初詣でと、近所の公園で眠っている我が家のトリたち、ハチ、うりゃうりゃ、ぽん、きゅーの墓参りに行く。午後はおせちを食べたり居眠りしたり。
 十九時、義父母宅へ。義弟とその彼女と六人で、義弟彼女のIちゃんの実家が送ってきてくれた松阪牛のすき焼きを食す。やわらかく、すき焼きにするのはもったいないほどの甘味があり、臭みがない。そのまま二十二時過ぎまでわいわいと過ごした。