わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

罵倒

 六時三十分起床。大型台風が九州をめちゃくちゃにしている。今後の進路次第では、またわが家の裏手を流れる善福寺川の決壊も覚悟せねばと腹を決めていたが、不幸中の幸い、台風は大きく西側へそれた。朝一番、窓を開け放ち強い風に雲が流されるのを眺め、そこに雨がないことを確認し、テレビの天気予報でも確認し、ようやく胸をなで下ろした。
 午前中は某社CI企画を黙々と。窓を開けたまま仕事をすると、光を透かす薄い布地が強風に膨らむのを、花子がおもしろがって眺めている。風の音がどこか晩秋を思わせるが、なぜなのかはよくわからない。大学生のころだったろうか、十一月に台風が関東地方を多い、ちぐはぐな気象に感覚も体調も狂わされたことがあるのを思い出した。風が妙に暖かいのだ。晴れて温かいなら小春日和と言ってもいいのかもしれぬが、台風の強風と雨で暖かさを感じるときは、どんな言葉がふさわしいのだろう。勘違い、のろま、そんな言葉ばかりが浮かんでしまう。他人を罵ることに慣れたアタマは、自然現象もつい小馬鹿にしてしまう。自然とは、古来より感謝し畏怖する対象であったはずだ。だから自然には神が宿った。荒れ狂う海に、吹き荒れる風に、鳴り響く稲妻に、そして朝に昇り夕に沈む太陽に、死と再生を繰り返すように満ち欠ける月に、古代の人々は神を見た。だが現代人に見えるのは、科学的な根拠と被害の統計だけだ。
 午後、麻布十番のO社で某筆記具メーカーの打ち合わせ。帰社後は再びCI企画に着手。疲れたので、夕方チラリと整骨院に行った。「リスドオル・ミツ」でビール酵母ライ麦バケットなどを買ってから帰宅する。
 
 野坂『東京小説』。親子孫、三代に渡る強姦と中絶の歴史。悲壮さを悲しく書かないのが野坂流。荒れ狂う感情などまったく書かれていないのに、粗暴で鋭利なエネルギーを感じる。
 堀江敏幸河岸段丘」。うわあ。野坂とは対照的だなあ。