わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

撃墜王と鼻歌オヤジ

 最近閉店してしまった「野菜倶楽部」のおばちゃんとジェット戦闘機(おそらくは量産されなかった幻の戦闘機、名作コミック「エリア88」でシン・カザマが愛用したノースロップ・グラマンF-20 タイガーシャーク。単座なのにふたりで乗るというのも変な話だが…)に搭乗し、20ミリ砲でミグ21を数機撃墜するも、ミサイル攻撃を受けて機体は炎上、墜落するが、「まあへいちゃらだよ」と開き直っている夢を見た。ぼくは、夢では絶対にコワイ思いをしない。追いかけられたり、殺されたりということはほとんどない。こういった極限状況の夢を見ることは稀なのだが、その状況をピンチと思ったり逃げ出そうとしたり、といったことが絶対にないのだ。平然としている。現実世界では、あーでもねえ、こーでもねえと大騒ぎするタチなのに。不思議である。
 七時に目覚ましをセットしたが、起きられず。胃カメラとはこれほど疲れるものなのか。それとも、ぼくが胃カメラを飲むのが下手だっただけか。背中と腰がひどく痛み、坐骨神経痛も再発してしまった。数日前ほど寒くないのだけが救いだ。寒さは腰痛を五割増しにする。
 十時、外出。丸ノ内線車内で、機嫌よく鼻歌を歌いながら、縦長に折ったスポーツ新聞をペラペラとめくりつづける、黒縁メガネに七三分けの50代のオヤジを見かけた。鼻歌のメロディは昔の流行歌らしいが、曲目まではわからない。外回りの最中だろうか。それにしては、浮かれすぎている。仕事中ならば、なぜこれほど地に足がついていないのか。それとも、スポーツ新聞の記事があまりにすばらしすぎて、彼を、鼻歌を歌う場所としてはふさわしくないという常識を忘れさせたのか。それほど彼を夢中にさせる記事とは何か。あれこれ勝手に夢想しているうちに、オヤジは赤坂見附で降りていった。降りる時には、ご機嫌な鼻歌は止んでいた。
 十一時、霞ヶ関のD社にて打ち合わせ。外務省、財務省の前を歩く。今日はさほど寒くないが、今までの寒波のせいだろうか、環境庁が提唱するウォームビズは期待していたほど盛り上がっていないらしい。こう寒くては、重ね着をしても暖房の使用を抑えることはできない。
 午後は某IT企業のセキュリティソリューションのパンフレット、某健康食品メーカーDM、某筆記具メーカー新聞広告、某複合ビルのPR誌など。立て続けに電話が鳴りつづけた。サラリーマン時代の後輩で、現在は独立してデザイン会社をやっているL君から電話。某広告賞、組んで応募しないかと誘われた。いいとも。
 夕方は鍼治療。好転反応だろうが、背中の痛みと坐骨神経痛が、かえって悪化している感じだ。前回もそうだったから心配はしていない。むしろ、明日どれくらい楽になっているかを期待している。健康な自分をイメージするのは楽しいことだが、それは裏返せば今の自分が健康ではないということだ。いや、平たくいえば健康なのだろう。ただ、問題のある箇所が多少はある。そこに目をつぶるか、徹底的に治療して完璧なる健康体を目指すか。健康は、求めすぎると青天井になる。
 治療後、新宿へ。「紀伊国屋書店」で仕事の資料数冊を購入。「ロフト」でメモ帳も買って帰宅する。
 この日記を書いている今、花子はめずらしくぼくの膝の上でおとなしくしている。ゴロゴロと喉を鳴らす音がする。振動が太ももの筋肉に伝わる。いつもこうならよいのだが。