わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

空さえ見えればいい。/ウンコ漏らしても、母は朗らかだ

 昨夜は鍼の好転反応か、坐骨神経痛がにわかに悪化し、びっこを引かないと歩けなくなってしまった。痛みが激しくてしゃがめない。なんとかしてしゃがめば、今度は痛みで立つことができない。靴下を脱ぐだけで気が狂わんばかりの激痛が走る。こんなときは、うっかり猫を踏まないよう細心の注意を払う必要がある。が、注意力なぞ激痛が一度走っただけでたちまち消える。深呼吸をすれば多少は紛れるが、本当に痛みが引いているのかはわからない。が、何もしないよりマシだ。呼吸に意識を集中させながら、動いたり、じっとしたりしていた。
 その痛みが、朝にはほとんど消えていた。やはり好転反応か。比較的気温が暖かかったことも幸いしているかもしれない。痛みがなければ、地に足をつけてしっかり立てる。そして、空を見上げることができる。それが痛みを全快へと導く最良の薬なのかもしれない。空さえ見えれば、しあわせである。新聞を取りに行くついでに、エントランスから外にでて、深呼吸しながら空を見上げた。冬晴れの空がいつもよりわずかに透明に見えた。
 某複合ビルのPR誌など。今日も電話は多い。夕方、「こけし屋」の焼き菓子を手土産に、サラリーマン時代の後輩L君が興したデザイン会社のZ社へ。某広告賞の打ち合わせ。おもしろいものができそうだ。
こけし屋」に寄った直後のことだ。西荻窪の駅で、美しい女性を見かけた。白い肌が、今日の空よりも透き通って見えた。その女性が、二歳くらいだろうか、小さな子どもの手を引いて、改札からロータリーのほうへと歩いていった。子どもはナマ足を出している。半ズボンとは、寒いのに元気がよい。幼いころから慣れていれば健康になるだろうなあ、などと思いつつ、すれ違いざまにその親子を目で追った。そのときに、ぼくは見間違いをしていることに気づいた。その子どもは、半ズボンなど履いていなかったのだ。お尻がもっこりしている。そこから、ニョキニョキとやわらかそうな足が二本、お尻の肉がチョロリと覗きそうな感じに伸びている。ああそうか、この子、ズボン履かずにおむつ丸出しなのだ。半ズボンだと思っていたのは、実は紙おむつだったわけだ。ウンコでも漏らしてしまったのだろうか。そのわりには、例の透明感のある母親が妙に朗らかな表情だったのが気になる。
 帰社/帰宅後も某複合ビルのPR誌。二十二時、ようやくメドがつく。

 昨日も今日も、ほとんど読書できず。仕事関連の資料ばかり読んでいる。