わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

ロック式ランドセルとボロボロ机

 七時三十分起床。今日は伯父の告別式だが、朝の様子はいつもとさほど変わらない。出かける前に掃除機をかけておくかどうかで、少し悩んだ程度だ。
 ダブルの礼服に白いワイシャツ、黒いネクタイと昨日とまるで同じ格好で家を出る。十時四十分ごろ、斎場へ。近ごろは平日の昼間に行われる告別式よりも顔を出しやすいという理由でお通夜だけ来る日とが多いと聞くが、それでも開始前から受付は混雑気味。伯母、従姉妹、両親らと合流。浄土真宗の坊さんが唱える経にほんのすこし異和感を(それが、何度も何度もけたたましく鳴らす鐘のせいなのか、むにゃむにゃしているのに声だけはでかい唱え方なのか、それともまったく別の理由に起因するものなのかはわからない)感じながらではあったが、伯父の死を弔った。棺に花を入れ、別れの挨拶をしてから霊柩車まで運ぶ。五十を過ぎた従兄のUが、この瞬間がいちばん嫌だとこぼしながら涙を流していた。
 落合にある火葬場へ。お骨になるのを待つ間、従兄Uが、小学生になるときに伯父が買ってくれたランドセルが、当時はまだ珍しいロック式の留め金で(まだまだベルト式が多かったそうだ)、友だちの注目の的だったと話してくれた。ぼくは学習机をいただいた。スチール製のシンプルなデザインで、残念ながら中三のときに引き出しが引き出せなくなり廃棄した。使い方が荒かったせいか、塗装は剥げフレームは曲がり、壮絶な最後だった。あんな状態、伯父には見せられなかったな。
 七十一歳。歳のわりには、骨はしっかりしていて量も多かった。
 斎場に戻り、初七日の供養。終了後は初七日の忌中払い。伯父の友人らしき方としばらく話した。飲みすぎた。みんな伯父を懐かしがっている。さぞかしうれしがっていることだろう。
 帰りがけに、せっかく雑司が谷に来たのだから、と夏目漱石の墓参りをした。一年ぶりくらいか。相変わらずキレイで、花も供えられていた。
 帰宅後は酔いがまわったのでしばらく休んだ。仕事の電話が何本か来たが、酔っていてはまともにお話を伺えないので明日にしてもらった。