わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

東京都美術館「オルセー美術館展 19世紀 芸術家たちの楽園」

 なにせオルセーである。本場に見に行くことはかなり困難。なら日本に来たときにバッチリ観ておくべきだ。そう思っている日本人がわんさかといるということなのか、それとも単に、タダ券もらったから行ってみた〜、というだけなのか、よくわからんが、昨日で来場20万人を記録したらしい。混雑も極まり、ゆっくり名画を鑑賞できる雰囲気ではなかった。オバサンたち、感想をメモしているときに体当たりしてくるのはやめてください。
 以下、おもしろいなあと感じた作品。


I.親密な時間

  • ルノワール「ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供)」…全然ルノワールっぽいタッチではない。しかし、猫の幸せそうな表情が、あの光に包まれたいわゆるルノワール調にどこか通じるところがある。


II.特別な場所

  • マネ「ブーローニュ港の月光」…影で光を描く。静止する人間のシルエットが内包する躍動感。これから何かが動き出す、という期待。ドラマのはじまり。
  • モネ「アルジャントゥイユの船着場」…川の水のゆるやかな流れを、大空に浮かぶたくさんの雲と、規則正しく並ぶ並木から川へと向かって伸びる木かげを使って間接的に表現しているように見えた。スゲエ。
  • モネ「ルーアン大聖堂」…なぜだろう、対象がフィギアっぽいというか、雄壮に描かれているはずなのにミニチュア化されているというか。だが、対象は観る者の手のひらの上にあるのではなく、やはり遠くに、ヒト対モノとして確かに存在してはいる。そんな不思議な印象を受けた。
  • スーラ「ポール=タン=ベッサンの外港、満潮」…まじめな偏執。点描って、意外と仕上がりが平坦に見えてしまったりする。


III.はるか彼方へ

  • ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」…ゆがんでる二日酔いの人の寝室だと思った(笑)。だから室内が、ウコンみたいな色なのだ。ウコンは肝臓によい。
  • ゴッホ「アルルのダンスホール」…ギリギリのところでの、遠近感の破壊、対象の個性の破壊、構図の破壊。破綻する寸前。これ以上やるとピカソになってしまうのかもしれない。
  • ゴーガン「黄色い積みわら(黄金色の穫り入れ)」…裸婦より好感がもてた。対象のニンゲンたちは、止まっているようで、ちゃんと動いている。ゴーガンって、たいていカッチーンと絵が固まっているだけなのに。
  • ベルナール「日傘を持つブルターニュの女たち」…キュビズム寸前、と思った。


IV.芸術家の生活

  • マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」…ポスターに使われているだけあって、今回最大の目玉。たしかに素晴らしい絵。固く、荒々しく、重く描くことで、逆に女性の柔らかさとやさしさが出てきたと思う。すみれなんてどうでもいい。ここに黒以外の色は不要、そういいきりたくなるくらい黒の使い方がうまい。黒の偉大さを改めて感じてしまった。

  • セザンヌ「ギュスターヴ・ジェフロワ」…近代絵画って完成=安定だと思うが(ゴッホを除く)、セザンヌは不安定をつきつめるように絵を描く人だと思う。これはその典型。対象の人間は、どっかりと腰を据えているようで、実はなんだかアンバランス。座っている椅子もバックの本棚も、机も、そばにある花も、みーんな立ち具合があぶなっかしい。色彩もゆらぎっぱなし。


V.幻想の世界へ

  • ハンマースホイ「室内、ストランゲーデ30番地」…生活の隙間を描こうとしたんだな、と思った。現代なら、写真家が選びそうな題材。そして多くの写真家は作品として仕上げることに失敗しちゃう(学生とか、素人フォトグラファーがそういう感じだね)。
  • ブレイトネル「月光」…抽象画として観たほうがおもろい。