わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

頭痛で吉凶/雲の途切れ目と成人の日/全国の女子高生の皆さん、三十年ぶりの復活です

 頭痛がつづいている。蔡内科皮膚科クリニックで治療したおかげでひどい痛みに苦しめられ何も手に付かない状態になることはなくなったものの、ときおり何かの拍子にふと痛みが沸き起こる。眼精疲労だの肩凝りだの腰痛だの首の凝りだの原因はあれこれ考えられるのだが、おそらくは複合的に悪条件が重なりあった結果の頭痛なのだろう。痛んだ翌日からはしばらくのあいだ、目覚めてすぐに、今はアタマ痛いかな、とまず確認するようになる。いにしえの日本人は目覚めると暦を読みその日の吉凶を占ったというが、ぼくの場合はアタマの痛みを確認することでその日の吉凶を占う。いや、占うというよりは、その日どこまで仕事ができるかの目安にするとでも言おうか。弱い痛みなら集中力がかき消してくれる。しかしある程度強くなると、痛みが集中を妨げるようになる。今朝は大丈夫だ、とふんだ。今年一番の冷え込む空気が氷枕のかわりになったか、痛みがいくぶん和らいでいるようだ。七時二十分起床。
 朝の空気を吸いに外へ出る(と書くとカッコいいが、実は新聞を取りに行くついでに、頭痛緩和になるかと思いマンションのエントランスの外まで出てみただけだが)。灰色の雲が幾重にも重なり、途切れることなく四方八方へと灰色の濃淡を変えながら広がってゆく。あの一枚岩のようになっている雲の途切れ目を見てみたい、とふと思った。いささか子供っぽい発想だろうか。こんな考えから開放されれば、大人になったという証拠か、と考えてみる。今日は成人の日だ。
 午前中は掃除だのアイロンだの雑用をしていたらあっという間に過ぎた。午後より仕事。はかどってはいるのだが、想像以上に作業量が多い。予定していたところまでたどり着けそうにない。
 十九時、リバイバルした「ヤッターマン」を観る。ストーリーこそ現代的だが、細かな演出が三十年前にかなり忠実でうれしい。大河原邦男デザインの、新しいヤッターワンのフォルムもいい。

ヤッターマンの歌

ヤッターマンの歌