「死者のように」。本作品集のほとんどに登場する死者が、ここでは出てこない。代わりに現れ、物語の中心となっているのは、語り手が大学教員をしていた三十年近く前に学生だった男。語り手は男と電車の乗り換えで偶然再会し、それを気に、埋もれていた彼にまつわる小さな記憶がよみがえる。
ラストに、著者による自作解説のようなものが収録されている。あとがきの代わりだろう。こういう嗜好を古井さんは好まぬようで、ごくごく短い内容となっているのだが、それでもそこに書かれた言葉はひとつひとつが重い。本作は生と死、現在と過去、夜と朝、平時と戦時……とさまざまな要素が、対立するのではなく、混じりあいながら作品世界を織りなしてゆく。いわば両者の境界線をうろつくことで、物語が進む。近年の古井さんの技法とも言えるかもしれないが、それはさておき、この境界線、古井さんはかなり強く意識しているようで、あとがきの中では「臨界域」という言葉を使って自作を語ろうとしている。ちょっと引用。これこそ、本作の中心にあるものなのかな。そういえば、タイトルにある「夜明け」とは、夜と朝の臨界域のことだ。
人の臨界域とは喩えてみれば、夜のしらじらと明けかけるようなものだ。じつは危い刻限でもあるのだ。長い夜を堪えてきたあげく、しらじら明けに至って、そこで絶望するという、いたましい例もある。夜が明けても何ひとつ改まらず、無意味な一日がまた始まることに、心がくだけるのではないか。しかしたいていの人間は、夜が明けて何かが改まるとは思わなくても、とにかく明けたということに、それだけでも元気を持ち直す。つまりは、何かしらが改まっているということだ。
夜が明けるたびに、人は老いて、そして改まる。
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