わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

尾を引く静寂、破れる静寂

 六時起床。昨夜から降りはじめた雨が、いつの間に雪まじりなっていた。外は静かだ。雨音の騒々しさを、雪が打ち消す。
 雪と静寂は相性がいい。降りはじめれば生物が一斉になりを潜め、風景が白銀に包まれ染まり変質していくのを、息を潜めるようにして、そして時折吐き出されるその息すらも白銀に染まってゆくのを感じながら、じっと観察するようになる。生きる者動く者すべてがじっとしているから静寂となるのか、それとも静寂が生きる者動く者すべてから音を奪っているのか。もっとも、静寂には奪うなどという野蛮なイメージはない。だが、逆に考えると無音ほど恐ろしいものはない。恐ろしさを与えるのだから、静寂もまた暴力、野蛮なる存在ということか。人間は自ら静寂をつくりだすことはできない。
 珍しく大きな作業のない一日。朝イチで書き上げたコピーをメールで送り、残りの時間はひたすら事務処理に当てた。午前中は銀行まわり。西荻窪の駅前の雑多な雰囲気はいつも通りで、すでに雪が降ったという形跡は日常の慌ただしさの中で蒸発していた。
 義父が持ってきてくれたうどんを釜揚げにして昼食。うまし。ありがとうございます。
 午後は会計ソフトへの経費の入力、給与ソフトへの給与や社会保障費などの入力、賞与支払届の記入と提出、郵便物の処理、レンタルサーバー会社への契約変更願いと細々した雑用を一気にこなした。
 十八時三十分、散歩へ。当然だが陽はすでに暮れ、満月に限りなく近い月が湿ったような黒い空に輝いている。住宅街は不思議と静かで、朝方に降った雪がもたらした静寂が、いまだに尾を引いているようにすら思えた。深夜に街をうろついているような錯覚を感じながら青梅街道のほうへと歩く。キング・クリムゾンロバート・フリップが妻のトーヤ・ウィルコックスと結成したバンドの名称を思い出した。「Sunday All Over the World」という。世界中が日曜日、と単純に訳せばウキウキした雰囲気がしないでもないが、実は核戦争だかで人類が滅び静寂の訪れた世界を示す言葉なのだという。人っ子一人いない、物音ひとつしない世界。誰もが活動をしていない。だから世界中が日曜日。
 街道にぶつかると、たちまち罵声が聞こえた。交通マナーだか交通ルールだかはわからぬが、それを守らぬ者が切れやすい者に何らかの迷惑をかけたらしい。
 夜はゆっくり過ごしたかったが、花子が何度も大騒ぎをして、まったく落ち着かず。朝の静寂が遠い昔のことのように思えた。