わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

恋しがらずにほかのこと

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 六時四十五分起床。気づけば花子を腕枕している。猫に腕枕を要求されると手が痺れてもそのままにしてしまう、とウチのカミサンがよく言うが、今日は容赦なくスポッと手を抜いた。だが、まだ寝ている。花子め、意外にというか案の定というか、相当に図太い。
 2010年代がスタートしたわけだが、急に暮らしぶりが変化するわけではない。もっとも、変化を求めてはいる。自分の暮らしの変化、という意味もあるのだが、それよりは社会の変化がほしいと痛切に思う。こんな心境からはじまる新たな十年というヤツは、いったいどうなるのか、どんな方向に進むのか。
 喘息が発症してからアルコールは一切ダメなのだが、それでも縁起物だから、とおとそはちょっとだけ飲んだ。久しぶりの酒は微量でもまわる。まわるというよりは、喉や内臓を焦がす、という感覚に近い。身体がアルコールを受け付けなくなりつつある。近ごろはあの味も酩酊の心地よさもまったく恋しいと思わなくなった。むしろ、酒に酔って行動も感覚も思考も制約されてしまうのがもったいない。
 午後から氏神様である荻窪八幡に初詣。守護矢(破魔矢)、氏神様と伊勢神宮のお札をいただく。そのまま、リュックのポケットに守護矢を突き立てた状態で西荻界隈をぐねぐねと散歩する。知らない道を歩いてみたり、明らかに暗渠になっていそうな遊歩道を見つけてどこまでつづくのか確認してみたり、門松や正月飾りを観察してみたり。ヒヨドリムクドリメジロハクセキレイセグロセキレイカルガモオナガガモコガモ、犬多数、そして猫。くっつきあった二匹が枯れ葉にうもれそうになっていた。

 十五時、帰宅。日が暮れるまでおせちをつまむ。
 冬空に明るく輝く満月を見ていたら無性に走りたくなった。というわけで、ジャージに着替えて8kmほど走った。月明かりのせいか、ときおり体力を無視して全力走をしたくなるのだが、こらえてマイペースを貫いた。
 夜は先日つくっておいたチャーシュー、煮卵、カミサンがつくった中華パン。おせちではないのでかなりの反則だが、煮炊きしたわけではないので、まあいいでしょ。

山城むつみ「『ひかりごけ』ノート」

「群像」1月号。瀕死の状態における人肉食という重いテーマを扱った泰淳先生の傑作のひとつ『ひかりごけ』についての評論。人肉食を罪と決めつけ、登場人物の首のうしろに現れる光の輪は罪の象徴である、という典型的な解釈を否定し、道徳観を超えたところにある人間の本性の断片こそがこの光の輪の正体、とする新しい(とういわけでもないかな)解釈。あの光の輪を、作品構成上の「役割」として捉え直し、登場人物の立場や視点という切り口から緻密に分析し直している。
 ぼくは『ひかりごけ』を2005年11月に読んでいる(とこのブログにあった)。そのときの感想を引用。山城さんとは似ているようでまったく違う読み方をしていた。今でもこの考え方は変わらない。

 泰淳には、人食いが非道徳的だとか極限状態にあるなら生きるための人食いもやむを得ないとか、そんな考察を物語の中で展開しようというつもりなどさらさらない。そんなことを超越して、そういった状況も含めて、大なり小なり罪を犯しつづけなければ命をつなぐことができぬ悲しい存在である人間、いやすべての命あるもの、そしてそれらの連関としての世界、その真理を見極めたいという大きな視点。それが泰淳のあらゆる作品の根底に流れる大きなテーマだ。ラストシーン、部下の人肉を喰った罪に問われた船長が裁かれる法廷の場面で、船長は人肉を食べたことのない人、あるいは自分の肉を食べられたことのない人に裁かれることを「我慢している」という。裁くなら、自分の肉を食べてほしいと主張する。この発言で裁判を混乱に陥れた彼の要望は、どこかゴルゴタの丘のキリストを思わせる。そして、船長の頭部は、人食いをしたものだけがそうなるといわれている、緑金色の光を放ちはじめる。語り手がマッカウシの洞窟で見た「ひかりごけ」のように。この光の輪は、船長が、人食いの善悪を超越したレベルで、他の生命を食らうことでしか自らの命を維持することができないというあらゆる生命の真理であり「業」を、宿命的なまでに苛酷な形で体験した者であるという証である。彼は人肉を食ったことで、生命の悲しみを本質的に理解した、という一点だけにおいて、裁判官よりも検事よりも弁護人よりも、すこしだけ救いに、そして神に近づいている。彼の行いが間違っているか、間違っていないかはここで関係ない。
 人間とは、宿命的・原罪的な悲しさを背負いながら、その悲しさをすこしずつ理解することで真理を見つけ、真理の向こう側にある何かを探すために生きる。それもまた悲しみなのかもしれない。それでも人間は生きつづける。泰淳は、そんなことを書きたかったのだろうか。

群像 2010年 1月号 [雑誌]

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蝮のすえ・「愛」のかたち (講談社文芸文庫)

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文学のプログラム (講談社文芸文庫)

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転形期と思考

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武田泰淳の作品はこちら。オススメは『富士』『目まいのする散歩』
山城むつみの作品はこちら

堀江敏幸「欄外の船」読了

「新潮」1月号。文学研究者の発見と出会い、そしてちょっとした焦燥。うん、とても短い作品ではあるが、堀江節がコブシを効かせてブンブンとうなっている感じ。

新潮 2010年 01月号 [雑誌]

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雪沼とその周辺 (新潮文庫)

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河岸忘日抄 (新潮文庫)

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堀江敏幸の作品はこちら