六時起床。蒸し暑い朝。久しぶりに朝から水を浴びた。
昨日の掃除で出てきたゴミ、45リットルの袋に三つ分を一度に出した。もったいない、と思うが、消費することと汚すこと、そして喰らうことはニンゲンの原罪みたいなものだ。消費せずに溜め込めば、それが環境汚染につながることもあるだろう。
七時、事務所へ。ラジコンメーカーウェブサイトなど。
十一時からは打ち合わせ三連チャン。まず小石川のL社で某大学入学案内の件。昼食後、霞が関のD社でPR誌。十六時、五反田のL社でカラオケ店のキャンペーン。
十七時三十分、帰社。その後も夜まで慌ただしい。
二十一時三十分、ひとまず終了。「桂花飯店」で夕食を済ませてから帰宅。
小雨がぱらつきはじめた。雨滴が熱され冷えきらないアスファルトで中途半端に暖められるせいだろうか、蒸し暑さが幾分か増したように思える。花子、暑くてバテたのだろうか。床にパタリと倒れたまま動かない。と書いたら急に身体を起こして窓の外をじっと見はじめた。
多和田葉子「隅田川の皺男」。街、男娼、妄想。この作者の作品を読むと、描写力の重要さを感じながらも、自己の内面を描写することの危うさも同時に感じてしまう。読者は、作者のために読むのではない。自分のための読むのである。そこを外したら、言葉は言葉でなくなってしまう。これは広告の文章もおなじこと。ただし、言葉を言葉でなくすという試みはおもしろい。