七日ぶりの土曜日だ、と馬鹿な書き出しをしてみる。それくらい週末が待ち遠しかった。長期休暇前の平日は仕事が立て込みすぎる。
九時、起床。やや喉が痛む。エアコンにやられたか、移転準備でハウスダストにやられたか、それとも過労で免疫力が弱っているか。
午後から事務所へ。荷物の梱包を進める。義父母も手伝ってくれた。
ドコモショップで父親への帰省土産のケータイを購入。FOMAにした。
十七時、帰宅。激しい蝉時雨が、かえって夏の終わりを感じさせる。空を見上げると、小動物の群れのような雲が、高いところにうっすらと広がっていた。
麦次郎によく似たシャム猫柄の猫、牛柄の猫、キジトラの猫と立て続けに見かけた。ある一戸建てでは、庭先で二匹の外猫がゴハンを食べているのを、室内飼いされているらしい猫がじっと見ていた。
帰宅後、ウチの猫たちも会わせてみる。が反応はいつもとおなじである。今がいちばんバランスがとれているのであるなら、これ以上関係がよくなることなど逆に望まぬほうがいいのかもしれない。もともと、猫は連帯感の強いドウブツではない。心の奥底では通いあっていても、それを表面に見せるようなことはしないのではないか。花と麦、それぞれの好きなようにさせたいと思う。
夕食は麻婆ナス。ペロリと平らげてしまった。
先日放送された江原啓之の特番をビデオで観る。肉親の絆、その本質って何なんだろうと思った。
つづいてフジテレビの小野田さんのドラマ。中村獅堂、熱演である。小野田氏は逆境でこそ活き活きするタイプのニンゲンだったか。追いつめられていないとアイデンティティを確認できない。ギリギリの緊張感を快感と感じてしまう。彼が日本へ帰れたのは、そんな生き方に疑問を感じたからかもしれない。
ニンゲンに、しなければいけないことなどひとつもない。だから、したいことだけをすればいい。
奥泉光「石の来歴」読了。偶然にもラストはフィリピンの洞窟で力尽きかけた戦友を殺せと上官から命令された上等兵、つまり主人公の逃亡シーンで終わる。現代から戦中のもっとも不幸な瞬間へ物語は突然逆行する。そこで主人公は、一時的にせよ戦友の死を回避する。自分の息子を二人も死なせた男が、最後に極限状態にある戦友を救う。それが幻想でも構わないではないか。主人公は、その瞬間生命というものを理解できたはずだ。
彼が理解した生命の本質とは何なのか。読者はそれを憶測するしかない。
奥泉光『石の来歴』