わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

秋の気配

 六時起床。午前中から打ち合わせがある日はどうしても慌ただしくなる。密になる行動をゆるやかにするためには早く起きなければならない。だが、朝寝で惰眠をむさぼった土日のだらけた感覚を、どうしても引きずってしまうのが月曜の朝というものだ。早く起きる気などどこかに消えてしまう。
 十時、外出。厚い雲がどこまでも途切れることなく続いている。都会の曇天は季節感を飲み込んでしまう。秋の訪れとは、黄葉や花だけではなく、陽射しや空の色、そしてその高さからも感じられるようだ。ひとつひとつ、小さな気配が積み重なる。感じ取ることができなければ、秋は来ていないと感じてしまうだろう。その小さな気配が、雲に包まれ、飲み込まれ、かき消されてしまう。より緑豊かな土地でなら、雲になぞ気配は負けないだろうに。望郷の念というわけではないが、そんなことを考えながら駅まで歩いた。すこしだけ汗ばんだ。
 十一時、小石川のL社へ。桜並木も黄葉がはじまった。短い道だが、両側の桜の木の並びは贅沢なほど長く感じる。その葉から夏の陽を照らす鮮やかさが消え、緑が深くなり、水気が失せ、すこしずつ黄色く染まっていく。それが全体的にではなく、一枚一枚、誰かが選んでいるのだろうかと訝りたくなるようにすこしずつ、変わってゆくのだ。T氏と打ち合わせ。次の打ち合わせは十四時から、同じL社。仕方がないので、後楽園で時間をつぶすことにした。昼食を摂ってからちらり遊園地を覗いてみたが、ひとりで入場するわけでなく、かといって休校の小学校でもあるのか、親子連れがなぜか目立つ場内でにぎやかに、しかし規則的に動くアトラクションを眺めるのにも(そこに秋の気配がないからだろうか)数秒で飽き、というより関心がもてず、しかたがないのでカフェでカプチーノをチビリチビリと啜りながら読書して時間をつぶした。
 十六時三十分、五反田のQ社へ。デザイナーのTさんと打ち合わせ。終了後、荻窪のルミネで買い物してから帰社/帰宅した。書店で松岡正剛『フラジャイル』、野口晴哉『整体入門』。前者は弱者についての考察。後者は野口整体の入門書だが、身体に関する思想書でもある。
 
 大江『さようなら、わたしの本よ!』。建築家・繁との共同体的生活と、くりかえされる会話/ディスカッション。大江流の物語進行は本作でも健在。閉鎖的だが建設的な会話の連続。思考も声も決して彼らの外側には向けられない。彼らの興味対象、今取り組むべき問題を、彼らのもつ語彙で彼らの手法で、なんらかの文学作品、旧作ならブレイクやイェーツ、本作ならエリオットの引用や読解をからめながら展開する。
 

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

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整体入門 (ちくま文庫)

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