「10 無限船と破船」。ヴァスコ・ダ・ガマとマラルメ? 十九世紀の詩人マラルメが十五世紀の冒険家ダ・ガマに捧げた詩があるらしい。マラルメにあまり興味がないので、ふうん、という感じ。詩作は難解。ダ・ガマの航海に何を重ねてみたかったのか。
「11 折角の犀」。漱石の漢詩。そこに隠れた諧謔。
誤跨牛背馬鳴去
復得龍牙狗走還
入泥駿馬地中去
折角霊犀天外還
空中耳語啾啾鬼
夢散蓮華拝我回
……
この漢詩から、著者は「硝子戸の中」へと思いを飛躍させ、「則天去私」へと結びつけてゆく。
----私は黙って座敷へ帰って、其処に敷いてある布団の上に横になった。病後の私は季節に不相応な黒八丈の襟のかかった銘仙のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向けに寝て、手を胸の上に組み合わせたなり黙って天井を見詰めていた。
(中略)
死期を悟った人間の、その無念無想を、死者たちが順々に拝する、というのも不思議ではない事だ。しかし拝される我を、我がまだ見ている。拝されるままに、すでに我意を捨てて、しかし見ている。そこに一抹の諧謔、諧謔の極地が、我を離れて点る。我を去りながら、今一度、いよいよ我である。則天去私とはそういうことではないか。そのように寒いエク・スタシスもありはしないか。