わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『槿

 変質者に目をつけられがちな女と、兄の自殺を悔やむ女の対比。前者が陽、後者が陰。陽は陰を惹き付けるが、陰は陽を惹き付けるのではなく、陽に救いを求めて近寄っていく。そんな描かれ方をされている。
 ふたりの女から解放された杉尾。すっきり目覚めた朝の心理描写(なのかな?)がおもしろかったので、陰陽、じゃなかった引用。女たちと杉尾の距離感の曖昧さが、曖昧なままに書かれている。

 それきりその夜のことは考えなくなった。女たちからも連絡はなかった。年々歳々、外にたいして物言いが分別づいてくるにつれ、自身にたいしてはますます遠慮なく、沈黙にふけりこむ傾きがある。いまさら孤独感の充足でもなく、鬱々ともしていない。たとえばひとりで飯を喰う、厠の内に屈む、あれと同じむつむつとしたものが、何かのはずみで沈黙をさらに底なしの感じで深めかける。
 どうかして昨夜の顔が、誰とはわかっていても、顔として浮かべられない。それでいて一向に焦りもしない。
 自身についても、昨日の今日、という連続感がしばしばかすれる。昨日と今日とのあいだに、やや遠い記憶の靄がかかり、払えば消えるがまたまつわりついてくる。いま現在が、ちょっとした想念やら立居の端で、記憶の色を帯びかける。