わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

古井由吉『槿』

 季節はいつしか桜の咲くころへ。女からカバンを預けられた夜のことがふたたび思い出され、杉尾はアタマを抱え込むようになる。その心理描写が、いつしか中年男の悲哀、いや醜悪な部分へとつながってゆく。引用。

 記憶の失せた心地がしないでもなかった。しかしそんな薄ら寒さは疲れているときによく起こるもので、何事にも記憶の奥というものはあり、自身の行為の由来は半分ほどもわからない。また記憶は本人の体験ばかりで成り立っているものでもなかろう。とにかく四十を越せば手前の意識の底を詮索している暇はそうそうない。穿(ほじく)り返そうと、振り回されるときには振り回される。それどころか、ひそかに内を探っている間に、隠されているつもりのものが本人の顔にあっさり露呈して、鼻をそむけたくなる悪臭を放っている、じつは本人も知らずに鼻を背けている、とそんなものだ。