田村が(と書くと麒麟の田村、貧乏なほうを思い出してしまう……)六十一歳のときの作品集「奴隷の歓び」のあたりを読んでいる。奴隷とは、おそらくは資本主義の奴隷としての、歴史の奴隷としての、あるいは言葉の奴隷としての自分自身を指しているんじゃないのかなあ、なんて思いながら読みすすめている。比喩としては陳腐だけれど、そのあとに平然と「歓び」とつなげてしまう不条理かつ自虐的なセンスは、この詩人ならではのものだと思う。「味」という作品がとても気に入った。ある種の境地に達してしまったのか、ミクロな世界とマクロな世界、肉体の内部と世界全体、その両方を一瞬で描ききっている。引用。
水が飲みたい
パンはいらない
おいしい水が飲みたい
パンはいらない
パンは動力源にすぎない
産業革命はもうたくさんだ
パン喰い競争は
子どものときにたっぷりやった
水は
時間と空間とが微妙にいりまじっている
水には現在形しかないくせに
過去を予見して歩いていく〈物〉の足音
死んだ未来をよみがえらせる〈物〉の黄金幻想がある
水が飲みたい
水が暗い咽喉部を流れ落ちて
〈物〉の体内に吸収され
〈物〉が〈物〉を増殖させる死から誕生までに
数億の水滴に有機的に変質する〈物〉の涙
その涙の塩の味を
- 作者: 田村隆一,平出隆
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/04/10
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