「髭の日」。主人公は、寝たきりとなり、病院に長期入院している老いた父親の髭を、週に一度剃りに病院に行く。その髭そりのしにくさを、道具、髭の毛質、寝姿勢などさまざまな面から病死者している。そして最後、経済的理由から入院費の安価な老人専門の病院に父親を移し、ホッとしたところで主人公は、父の食が細くなったことを気にかけつつも取材の仕事のために北海道の牧場に行くが、残念ながら訪問先で父の訃報を聞くことになってしまう。
看病のわずらわしさに悩みながらも面倒を見続ける、その複雑な心境を直接語ることなく、周囲を埋めるようにしてひたすら描写し続けた傑作。悲しみを、悲しみとして書くことは誰にでもできる。むしろ、それを隠すようにして書くことでしか表現できない悲しみというものがあるのではないか。そう強く思った。訃報を聞き、慌てて帰京するシーンで作品は終わる。ラストだけ引用。
牧場の家族には聞かせぬよう、同行者に目くばせして冷えた茶を啜り、千歳の空港までの長い道を頭の中でたどったが、いざ着陸した羽田から先が、子供の頃から馴染んだ界隈であるのに、そこまでの地理がにわかに思い浮かべられなくなった。まるで見も知らぬ土地となって暗くひろがった。
飯が喰えなくなると、やはり死ぬんだな、しかし髭は最後まで丈夫だった、と帰り道のわからなくなった気持からつぶやいた。
つづいて表題作「木犀の日」。とある秋の日の、外出の様子。
- 作者: 古井由吉,大杉重男
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/02/10
- メディア: 文庫
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