「草原」。イスラムの、千年前に磔刑された男のエピソードから、古井さんの作品に度々登場する頸椎の手術のエピソード、そして手術の直前に見た夢のように描かれる、投資の対象にされ、工事が中途半端な状態でストップしたままの土地。語り手はそこで、知人らしい男と、景気だの社会情勢だのに左右されながら生きる者の生き死にについて語り合う。あちこちに、卒塔婆のように立ったコンクリートの鉄筋が、冒頭の磔刑に使われた十字架のイメージと重なり合う。ちょっとだけ引用。
--おそれも知らぬくせに、追いつめられると、もろい。年々、人がもろくなっていく。苦しむ力から、まず失せる。ただ騒ぐ。それから、昨日まで騒いでいたのが、物を言わなくなる。
--大勢死んだのか。
--物を言わなくなるのも一時だ。たいてい、まだ生きている。気もつかずに。
(いっぱい中略)
歯ぎしりの音がかすかに洩れて、男の青ざめたのを私は感じた。
--あなたは、死んだ一人ではないのか。
--あんたこそ、もう死んだ者たちの、一人ではないのか。
--いや、あなたは人の死んだ静まりを、たえず背負って生きているのではないか。
--あんたこそ、自分の死んだ静まりを刻々、繰り返して生きているのではないか。それでも、日々に、あらたまる。
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