わたしが猫に蹴っとばされる理由

文学・芸術・哲学・思想の読書&鑑賞日記が中心ですが、雑食系なのでいろいろ取り上げてます。猫もいるよ♡

叱らなかった

 昨夜、日付が変わって三十分ほど経ったあたりで、花子がウンコした。三日ぶりだ。猫トイレから飛び出してきたところを抱きかかえ、腹毛だの腿毛だのにからみついた細かな砂粒を、パパパッと払ってからビニール袋にウンコを入れ、トイレに設置した猫専用ゴミ箱に入れた。さて寝るか、と部屋に戻ったところで、うわあ、と少々間抜けな声を上げてしまった。花子が布団の上にオシッコしていたからだ。布団は鍾乳洞の中で水のひとしずくひとしずくが何百年もかけてひたひたと垂れることで穿った穴のようになっていて、そこにジョジョンとシッコが溜まっていた。慌ててティッシュで尿を吸い取り、ある程度吸えたところで布団を風呂場に持っていき、シャワーで仮洗いしておいた。おそらくウンコもシッコも同時にしたくなったものの、尿意よりも便意が勝り、ひとまずウンコし一旦儀式的あるいは習慣的に猫トイレから出たところで、ぼくがさっさとウンコを片付けにかかったものだから、本当はすぐに猫トイレに戻りシッコしたかったというのにすることができなくなり、チビ猫のころ、よく羽毛布団の上でシッコしていたことを思い出したのだろうか、今使っているのはアレルギー対策処理されたポリエステルか何かでできた布団なのだが、花子にとっては羽毛だろうがポリだろうが関係はなく、一度そこがトイレだと思えばトイレになる、ということなのだろう、そこでジョンジョロとやっちまったというわけに違いない。叱らなかった。叱るようなことではないと思った。ひとまず落ち付いたところで予備の布団(といってもタオルケットを三重にしただけだが)に潜り込み、灯りを消したところで、心細くなってしまったらしい花子がピタリと身体を寄せてきたので、いつも以上にかわいがってやった。花子はすぐに寝てしまったようだが、ぼくのほうはといえば、久々の粗相に、花子との意思疎通の薄さというか、もろさのようなものを感じてしまい、それを悔やみ反省していたというわけではないのだが、漠然とではあるが本能的に受けたショックが原因で、何時間も、何時間も、寝付けずにいた。
 気づけば寝ていた。四時に一度起きて猫にゴハンを与え、七時にもう一度起きて洗濯機を回しぷちぷちにゴハンを与え、さて、あと三十分だけ仮眠的に眠ってから、きちんと起きて身支度しようと思ったものの、そのままうとうととまどろんで、気づけば八時を三十分ほど過ぎていた。
 久々の晴れ間。洗った布団を、何の心配もなく干すことができる。
 でかける気にはなれず、終日本を読んだりぼけーっとしたりして過ごした。
 夕食はポークチョップ。すり下ろした玉葱が多すぎたみたいで、ちょっとソースが水っぽくなった。新玉葱だったからだろうか。