繁蔵との間にできた二人目の子どもも中絶してしまい、そのことに気づかぬ鈍感な繁蔵に苛立っていたフサに、母が危篤との連絡が入る。死に目には会えたものの、フサは吉広や勝一郎など、死んでいった愛しい人たちとの思い出から抜け出せなくなり、涙を流しつづける……。
ラストは、母の四十九日の法要に家族総出で出席したフサの、秋幸との無理心中未遂という不幸のどん底のようなシーンで終わる。フサの愚行は駆けつけた息子・郁夫にそれとなく伝わってしまい、静かに不協和音が響いているようで、読んでいてとても切なくなる。明くる日、フサは大切にしていた吉広からもらった輪櫛がなくなっていることに気づく。心中未遂のときに、川に落としてしまったのだ……。
乱暴に要約すれば本作は、戦前から戦後の混乱期を、幾人もの大切な人たちに死なれながらも、女として、そして母として生き抜こうとしたひとりの人間の、圧倒的に不幸ばかりがつづく半生の記録。幸せになりたい、という欲求はほとんどフサにはなく、ただただ、意識は目の前にいる男と家族、そして死んだ兄や夫にばかり向かう。しかし、その一方でフサは逞しい。悲しみから無理やり捻り出したようなエネルギーで子どもたちを養いつづける。
繰り返すが、暮らしに楽しさや笑いはほとんどない。生きれば生きるほど、男にも、時代にも、裏切られてゆく。生き方は次第に重く、それでいて無思想に近くなっていく。だがかつては、フサにも笑顔があったのだ。しかし、混乱の時代と暗鬱な土地とが、大好きだった兄や最初の夫との記憶の中にたしかにあったはずの楽しさを埋もれさせてしまう。
フサは現状を打破したかったのだろうか。そのようには読めない。ただただ、母としての役目を全うしたかっただけのように思える。ただ、その気張りがうまく時代の流れにかみ合わなかっただけの話だ。そんな彼女の生き方を、兄や最初の夫は、どんな気持ちで天から見届けていたのか。ラストシーンで、フサは兄からもらった大切な和櫛をなくした。これは、悲しさばかりを募らせるのであれば、もうこれ以上過去を振り返るな、という兄からのメッセージだったのではないか。
本作の後の世界を描く「岬」「枯木灘」では、フサは地味に、そして心配性に生きているように思えるが、昔の悲しみをひきずるような生き方はしていないように思える(これらの作品ではフサは脇役だから、そんなに深く描かれていないわけだけれど)。本作と「岬」の間で、何かが変わったのだろう。そこにぼくは、地味でほとんど輝かないが、それでもある程度の力は込もっている、不思議な力のようなものを感じ取った。
中上は、本作を通じてこう言いたかったのかもしれない。生きろ、と。そして、振り返るな、と。
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